この経験を通して、僕はひとつ、大きなことに気づかされました。当時の僕は、「大学受験というゲーム」のルールを、自分ではしっかり理解しているつもりでした。試験で高得点を取れば、いい大学に行ける。だから、その試験で勝つために、他の同世代よりたくさん勉強する。単純明快で、ある意味とても健全な考え方です。
でも、世の中には、そもそもゲームのルール自体を疑ってかかる人がいるんですよね。
「本当にその試験を突破しないと、その大学には入れないのか?」「他に、もっとコストの低い入り口はないのか?」「そもそも、自分がほしいのは大学の看板なのか、それとも別の何かなのか?」という問いを、高校生の段階で立てられる人がいる。
これってよく考えると、めちゃくちゃすごいことですよね。僕を含めた多くの人は、目の前に「試験」というルールが提示された瞬間に、その中で最適化することしか考えなくなります。「どう問題を速く解くか」「どう暗記量を増やすか」——ゲームの中のプレイヤーとして、必死に上達しようとする。
一方で、ルールを疑う人は、ゲームの外に立っています。「このゲーム、そもそもプレイする必要ある?」「他のゲームに移った方が、勝ちやすくない?」と。プレイヤーの視点ではなく、ゲームデザイナーの視点でものを見ている、と言ってもいいかもしれません。
ドラゴン桜「知らないというのは恐ろしいことである」
『ドラゴン桜』でも、この「知らないというのは恐ろしいことである」という思考について触れられているシーンがあります。
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