勉強の方面では明確に「神童」の側にいた。中学受験の進学塾に通っていた彼女は、模試で国語の全国1位を取った経験がある。記述問題で言葉を扱う能力は同年代の枠を超えていた。
ところが算数では偏差値31を叩き出していた。塾の担当講師に呼び出されて、こう言われたという。
「お前は猿以下だ」
教科をひとまたぎした瞬間に、神童は猿以下になる。本人は当時を笑って振り返るが、これは後年明らかになる彼女の認知特性――言葉と数字、言葉と空間の間に横たわる、極端な凸凹――の最も早い兆候だった。
それでも、神戸女学院中学部に合格する。本人いわく「窓のない自習室で1日12時間、目を血走らせながら勉強した時期もあった」。受かったことで「神童」はなんとか維持されたが、本人のなかでは「算数だけは絶対に超えられない壁がある」という感覚が、すでに静かに根を張っていた。
守られていた「変わった子」
中学・高校の6年間、彼女は神戸女学院で過ごす。彼女にとってこの6年間はかなり充実したものであり、ある意味で「守られている期間」だったと本人は語っている。
神戸女学院は、進学実績を学校として公表しない。模試の偏差値ランキングの上でも実態がつかみにくく、外から見れば「正体不明のお嬢様学校」に映る。だが内部にいる子どもたちにとっては、その曖昧さがむしろ救いだった。誰がどの大学に何人受かったかでマウントを取り合う文化が、そもそも校内に存在しなかったからである。
ここで彼女は「変わっている」子のままでいられた。算数が極端にできなくても、空気の読み方がずれていても、それを矯正しようとする圧が薄かった。個性に対する許容範囲が広かった。本人いわく、「もし公立中・公立高に通っていたら、自分はおそらく不登校になっていた」とのこと。
だがその上で、プラスなことばかりではなく、容姿コンプレックスはこの時期にむしろ深まったという。「ブス」と言われた小学校時代の記憶が、思春期と結び付いて再燃した。鏡の前で長時間立ち止まり、自分の顔が許容できる形に整うまで動けない――そんな日が、受験期になっても1日のスケジュールに組み込まれていた。摂食障害も、この頃に始まっている。
「勉強しなきゃいけないんだけど、鏡の前で5時間悩むみたいな時間が、絶対に1日に組み込まれちゃう」
それでも、彼女は阪大に届く。

