今後、経済が順調になってきて国民の納得を得られれば、みんなでもう少し負担し合うことで、より安心を高める方向に向かうことも選択肢としてあるでしょう。状況に応じて政策転換を行うのが政治の役割だと思っています。
フランスや北欧は高負担・高福祉タイプ、一方のアメリカは低負担・低福祉の自己責任・自助努力タイプです。日本は、中負担・中福祉といわれていますが、実態としては中負担・低福祉の国だと私は思っています。かなり負担しているはずなのに、その負担に見合うだけの安心感がない社会。国民にとってもっとも納得できない状況です。
大切なのは国民が納得できるかどうかです。国に預けた税金が、国民の「生活の安心」や「もしもの時の安心」としてきちんと戻ってくるかどうかです。
10預けたら11返ってくる政治を
【泉】ちなみに私が明石市長のとき、「泉市長だったらいくら税金を払っても惜しくない。だって払った以上に返ってくるから」とよく言われました。市長として、これほどうれしい評価はありません。
明石市長時代、私は職員にこう言っていました。
「我々は10のお金を市民から預かり、このうち1を給料としてもらっている。ということは、自分たちが働いて給料をもらうことで、預かった10のお金が9に減る。だから何をすればいいかというと、1もらう代わりに、1の知恵と1の汗を出そう。すると、9に減った預り金が11に増える。10預けて11返ってくれば、市民はもっと預けたくなる。市民が明石市にもっとお金を預けたくなるような政治をするんだ。そのためには知恵と汗だ。みんなで知恵を絞って市民のための政策を考えよう。ちゃんと足を運んで現地を見に行こう」
北欧諸国の国民が高い国民負担率に納得しているのは、企業・団体献金を禁止し、国民が負担しているお金は新たな価値をつけて国民に戻すものというイメージを政治家と国民が共有しているからです。私も明石市長時代、市民とのあいだで同様のイメージを共有しようと努めてきました。そしてある程度、達成できたのではないかと自負しています。
国会議員として、今度は国民と政治家のあいだで、国民の負担は「新たな価値をつけて国民に戻す」という常識を共有したいと願っています。そのためには、企業・団体献金を禁止し、政治家が企業ではなく、国民のほうを向いた政治に転換するところから始めなければいけない、と思っています。


