「買い物といえば康生。レオやセルビへ行って、地下でつながっていたからぐるぐる歩いた。でも、よく利用したのはスーパー。松坂屋でも買ったけれど、本当にいいものを買うなら名古屋まで出る人もいた」
その感覚は、調査結果にも表れていた。
岡崎市商工会議所が1965年に実施した消費者調査によると、衣料品でも百貨店で買う市民は限られている。
紳士服を百貨店で買う人は16%で、6割は専門店や小売店で買っていた。婦人子供服でこそ百貨店が34%と健闘するが、靴になると百貨店は11%にとどまり、8割以上が専門店だった。
ブランドへのこだわりも、当時はまだ高くなかったと市史は記している。
商業力を示す数字も、それを裏付ける。市史によると、1972(昭和47)年の人口1人当たり年間販売額は岡崎が33万7000円で、名古屋の44万7000円には及ばなかった。1店当たり、従業員1人当たりの販売額でも豊田や刈谷を下回り、1976年には従業員1人当たり販売額で蒲郡や豊川にも逆転されている。
西三河最大級の都市でも、百貨店を支えるほどの購買力は育っていなかった。だが、こうした構図は、岡崎に限った話ではない。本連載の第3回で取り上げた八王子市でも、同じような構図が見られる。八王子市は多摩地域最大の都市でありながら、市民1人あたりの小売店販売高は、人口が約3分の1しかない立川市の半分程度だった。
岡崎でも、「西三河の中心都市」という評価と、百貨店を支える商業力との間には、同じようなずれがあったといえる。
そして百貨店は姿を消した
1990年代後半になると、康生地区の商業集積は急速に崩れ始める。
1992年には郊外に西友岡崎店が開業し、1998年にはシビコからジャスコが撤退。松坂屋岡崎店の売上高も1992年2月期の129億円をピークに減少し、1995年から2007年まで営業赤字が続いた。街の商業の重心は、郊外へ移り始めていた。

