2000年にはイオンモール岡崎が開業し、その中に西武岡崎店が出店。一方、中心市街地では2001年に岡崎メルサが撤退し、2003年にはたつきビルが解体された。松坂屋岡崎店は人員削減などで一時的に黒字へ転じたものの、2010年に閉店。運営会社J.フロントリテイリング全25店舗の中で、売上高の落ち込みは最も大きかった。
同年、核テナントを失ったクレオ(旧レオ)も閉店する。郊外イオンモール内の西武岡崎店も2020年に閉店し、岡崎から百貨店は姿を消した。全国第1号の再開発で生まれた百貨店街は、約40年で幕を閉じた。
地元商店が力を合わせて築いた商業の中心は、郊外型ショッピングセンターとの競争に敗れた。そして最後まで岡崎に残ったのは、かつて県外初出店の地となったオカダヤの流れをくむイオンだ。
康生地区出身の84歳の男性は、今も買い物はイオンへ行くという。
「イオンがあると、個人の店は太刀打ちできない。何でもそろっているから」
身の丈に合わない選択だったのか
ここで一つの疑問が残る。
商業力は中心都市の看板ほど強くなく、市民の買い物行動も百貨店を支えるものではなかった。それでも岡崎は、全国に先駆けて巨大な再開発に踏み切り、松坂屋を街の中心に据えた。後から見れば、身の丈に合わない選択にも映る。
では、当時の商店主たちは何を見ていたのか。その答えは、再開発を担った当事者たちの証言の中に残っていた。その詳細は後編でお届けする。

