そう話す矢澤さんは、男性のリュックのチャックを手早く閉めた。男性はうれしそうに目を細め、「おお、ありがとう」と言って、また歩き出した。そのやりとりは、まるで父と娘のようだった。
「世代的に若い頃、大学に行けなかった方も多いです。『夢がかなった。試験もなければ宿題もない。俺にとっては好都合なスクールライフだ』という方もいます」と矢澤さんは語る。
奈良シニア大学で行われる週1回の午前中の一般教養講座は、毎回異なるテーマで展開される。同じ講師に頼んでも、同じ講義は一つとしてないという。奈良の歴史を語る講師が7割を占めるが、社会課題や衣食住の有識者まで幅広く教壇に立つ。
取材に訪れた日は、家紋をもとにスーツをつくるブランド経営者の講演が行われていた。春に入学したばかりの60代の女性は、「ぜんぜん知らないことばかりだから、毎回頭の中がいっぱいになります。これからどんなことが学べるのか、楽しみです」と、興奮冷めやらぬ様子で語った。
もちろん、全員が手放しで絶賛しているわけではない。ある男性は「講義のジャンルがいつも違うから、どう学べばいいか迷う。いいところもあるし、悪いところもある」と正直な感想を漏らした。
そういった声に対して、矢澤さんの受け止めは深い。
「斜めから見ている学生ももちろんいます。それでも残り続けてくださるのは、この場所が好きでいてくれているからだと思っています」
実は以前、奈良シニア大学では「大学院を作って、実践的にシニアが社会で活躍できる環境をつくります」と学生に発表したことがある。
すると、初期からいる学生から「俺たちを大学から追い出す気か!?」と大ブーイングをくらった。良かれと思った提案だったが、大学に通い続ける心地よさを感じていた学生には不必要な変化だったようだ。大学院の話は、すぐに立ち消えたという。
20代から30代の若手スタッフとの関係
血の通ったコミュニティゆえ、人間関係のトラブルもある。学生同士で問題が起きると、事務局が間に入り、当人同士の話し合いの場を設けるそうだ。学則に反する行為を続ける人には、矢澤さんが退学を言い渡すこともある。
いい大人だけれど、時として問題を起こした場合、人生のベテランであるシニア学生たちは、その年齢で指導を受けることに反発はないのだろうか?
「それが面白いことに、まったくぶつからないんです。事務局のスタッフは彼らの子ども世代、孫世代なので、『応援しよう』みたいなスタンスなんだと思います。私たちも親や祖父祖母の世代の人に対して、尊敬の気持ちを持って向き合います。逆に同世代同士だと、衝突しがちかも。自然と若いスタッフを雇うようになりました」と矢澤さん。

