様々なシミュレーションをしてきたが、この通りにいくことなど何一つない。サッカーはその場その場で違うことが起こり、生もので形も変わりやすく、一寸先は闇。なかなか見通しがつかない。だからこそ、戦略として柔軟な戦いをするべきである。
相手がブラジルやモロッコと格上だったら、用心深く戦うべきだろう。しかし、敵が消耗して疲れて士気が下がっていたら、むしろ互角以上に強気の陣形を組むべきかもしれない。一方、チュニジアには正面からぶち当たって打ち砕くべきだが、格下と侮った場合、しっぺ返しを食らう。
「兵は詭道なり」でどこまで相手を欺き、変幻自在の戦いができるか。「W杯優勝」のように気合のアドバルーンをあげるだけでは、孫子が諭すように敵の軍門に下るのがオチだ。
「真っ直ぐな想い」だけでは勝てない
アマチュアスポーツに通底する真っ直ぐな想いだけで勝てないのが、W杯という"魑魅魍魎(ちみもうりょう)"の舞台である。
海千山千、プロとして数十億円を稼ぎ、毎週末スタジアムを沸かせる歴戦の戦士たちが集い、国を背負って戦う。純粋さを馬鹿にしているのではなく、サッカーというスポーツに求められる"騙し合い"という本質からして、世界線が違うのだ。
W杯を妄想的イメージで言語化するなら、それはお祭りなどではない。「深く根差した業を自らの正義としてかざし、立ちふさがる相手とぶつけ合い、その正義の応酬の中で決着をつける」という、ほとんど血みどろのバトルだ。

