最初に、ある強豪校の学生寮で起こった話を共有させていただきます。上級生から下級生への「イジり」が長期的にエスカレートし、深刻ないじめに発展していた事案があったといいます。寮の中で起きていたことであり、当初は外部にも学校にも全容は見えていませんでした。それが第三者の目に触れるかたちで表面化し、はじめて学校が事態を把握することになったといいます。
この経緯そのものに、閉じた空間固有の難しさが凝縮されています。「いつから」「どの程度」「誰が中心になって」起きていたのかが、事後にしか分からない。寮監を配置していても、生活空間で起きるすべてを把握することは構造的に不可能だからです。
問題が表面化したあと、加害側の保護者が学校に持ち出したのは、想定外の主張でした。これは学校側の管理責任であり、法的措置を検討する――そして、その延長線上で、自分の子は監督から下級生を指導するよう指示されていたのであり、つまり学校の指示によるものだ、と訴えたといいます。
実際にそのような指示は出されていませんでした。しかし「監督の指示だった」という主張が一度公の場に出てしまえば、それを否定するために学校側は膨大な労力を払うことになります。閉じた空間で起きた出来事は、外部からの検証が極めて難しい。そのことを利用するように、責任を学校側に押し付ける論理が組み立てられていく構造が、ここには見えます。
24時間管理は不可能だという前提
寮には寮監が配置され、生活上のトラブルに備えて教職員も交代で対応に当たります。深夜に寮内で問題が起これば駆けつけ、週末も返上して向き合う。にもかかわらず、いざ事件が表面化すれば「プロとして怠慢だ」と批判される――そうした現実があります。
ここで考えたいのは、そもそも24時間、生徒の生活のすべてを大人が監督することは現実的に可能なのかという根本的な問いです。家庭においてさえ、思春期の子どもが自室で何をしているか、保護者が完全に把握しているケースは多くありません。それを学校という組織に、しかも数十人、数百人規模の生徒について求めるのは、構造的に不可能な要求と言わざるをえません。
それでも管理責任を全面的に引き受けるという建て付けで寮を運営する以上、何かが起きたときに「想定外だった」「把握できなかった」という説明は通用しません。実質的に不可能なことを、契約上は引き受けている――この乖離が、寮や合宿という空間に固有のリスクを生んでいます。

