もちろん、こうした授業には難しさもあります。何でも相対化すればよいわけではありませんし、加害や人権侵害まで「見方の違い」で済ませてしまってはならないからです。
ただ、スイスの事例が示しているのは、事実に向き合うことと多様な立場を理解することは、必ずしも矛盾しないということです。ベルジエ報告書をめぐる議論でもわかるように、痛みを伴う歴史ほど、隠すのではなく、問いに変えて教室へ持ち込む必要があるのです。
統一教科書がないことは対話の余地を生み出している
統一教科書がないことは、一見すると弱点に見えるかもしれません。しかしスイスでは、その不統一さがむしろ、歴史をめぐる対話の余地を生み出しているようにも見えます。
正解を暗記するのではなく、複数の視点をぶつけ、根拠を問い、相手の立場を理解しながら自分の考えを組み立てる。
多文化社会のなかで歴史を学ぶとは、そういう営みなのかもしれません。日本でも、社会の前提が変わりつつある今、こうした学び方から得られる示唆は小さくないはずです。

