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ライフ #都市の下剋上

「駅前が閑散、人通りほぼなし」「市内には廃墟モールも…」 茨城県土浦市がつくば市に追い越された「下剋上」の残酷背景

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土浦はかつて、つくばを「支える対象」と見ていたが…(写真:筆者撮影)
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土浦ニューウェイの入り口(写真:筆者撮影)

つくばは「自己完結型」の都市だった

それでも土浦はつくばを「取り込む対象」として見続けた。科学万博後も、その考え方は変わらない。

96年の『土浦市総合計画』には「つくばとの一体的発展」「新交通システムによる連携」が記されている。75年の市史から21年が経っても、土浦がつくばを支える構想は続いていた。

だが、その頃のつくばはすでに別の道を歩んでいた。研究機関の集積に住宅と商業が加わり、東京とも直結した。土浦を経由しなくても、暮らしが完結する条件が整っていた。

ここまでまとめると、土浦が空回りしたように見える。ただ、これは土浦の判断が誤りだったという話ではない。70年代、「陸の孤島」と呼ばれたつくばを前にすれば、県南の消費都市として成長しようとした判断には合理性があった。隣にいたのが、国家プロジェクトで作られた特殊な都市だったのだ。

では、なぜつくばはここまで急成長したのか。かつて「陸の孤島」と呼ばれた土地が、人口で県都・水戸市を上回る都市へ変わった背景を、次回追っていく。

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