私は、ある一人の友人にだけ相談をしました。するとその友人は「ここで行かなかったら、去年と同じ一年だよ。」と言ったのです。その言葉を聞いて私はハッとしました。
〈去年と同じ一年〉──。それは、芝居を打つ公演費を捻出するために、朝から晩までアルバイトする日々。そしてその公演を観に来てくれた誰かが、「この娘は……!」と私を見出してくれ、女優としての道が拓ける……。
そんな夢物語のような奇跡だけを信じて一人芝居打ち続けて来たこれまでの二十年は、その一年一年の積み重ねでした。しかしそのやり方で、今日まで結果が出ていないという現実……。
私は「もうこれ以上同じ一年を過ごしてはいけない」──。そう初めて強く思いました。
私が二十代の頃は、日本はちょうどバブルの真っ只中。同世代の若い大学生や女性たちが高級なブランド物のバッグを持ち、おしゃれな洋服に身を包んでキラキラと輝き、街を闊歩(かっぽ)していました。
けれど私にはブランド物など夢のまた夢です。それでも私は「絶対に女優になる」という一心の希望で、一度も自分を惨めだとか貧しいなどと思ったことはありませんでした。
けれどもうこれ以上同じやり方を続けていてはいけない。
そして、覚悟が決まりました。私は「これが人生、本当に最後の勝負だ」と、吉本興業に願書を送ったのです。
「覚悟」が決まると不安が消える
芝居の世界から吉本興業の養成所に入るまでは、役者としての仕事のほか、自分の一人芝居の舞台をやるために、私は本当に多くのアルバイトを経験しました。
当時、時給五千円〜という高時給だったコンピューターの講師になるまでは、昼間は時給千円ほどの飲食店でのウェイトレス、夜は時給が千五百円に上がる配膳係(※配膳係=ホテルのレストランなどで働くウェイター、ウェイトレス)で朝から晩まで働きました。
その仕事は一度に長時間働くことができたので、日によっては一日十時間バイトを入れられます。すると一日一万円以上になったので、働ける日は精一杯バイトを入れていました。それくらい必死で働かなければ、自分の生活費のほかに、舞台を作る費用など捻出できるはずがなかったからです。
