ちなみに、人質問題は、黒田官兵衛にも降りかかります。『武功夜話』(織田信長や豊臣秀吉に仕えた前野一族の古記録。偽書説もあり)にはその事が記載されています。
同書には、官兵衛が主命(小寺氏の命)により先年上洛し、妙覚寺において信長と謁見したこと、官兵衛は「仲々に才気ある者」であり「性来野心ある者」であることが記述されています。
それだけでなく「播州の事を牛耳る如き物言い振舞い」があったとして、秀吉に仕える竹中半兵衛や蜂須賀小六も、官兵衛を「曲者」として当初、信用していなかったとのこと。
官兵衛の「忠節」が誠かどうかを見るには、官兵衛が嫡子(松寿。後の黒田長政)を人質として差し出すかどうかだと秀吉の臣下らは考えていました。人質を差し出すことを求められた官兵衛は早速、嫡子を長浜に連れてやって来ます(天正5年9月)。
『武功夜話』はそれまで官兵衛のことを「才気あるも野心家」「曲者」「物言い振舞い尋常に非ずなり」など、どこか信用できない者のように記述してきましたが、これを経て「聞きしに勝る大器の御仁に候なり」(聞きしに勝る大きな器の人間)と称賛しています。
官兵衛の子を人質として信長に差し出せば…
一連の出来事に際して、竹中半兵衛は小一郎に興味深い進言をしています。
「官兵衛の一子を人質として内府公(信長)に差し出せば、内府は筑前様(秀吉)への勘気を解くはずだ」
同年、秀吉は越後国の上杉謙信と対峙していた柴田勝家の救援を信長に命じられていましたが勝家と仲違い。無断で兵を撤収し帰還してしまいました。
これにより信長から激しい怒りを受けている最中でしたので、官兵衛の人質を差し出すことで信長との関係にもいい影響があるはずだというのでした。
