「週末にあんなに頑張った資料が、全部消えてしまうのか……」
周りの部下たちもパニックになっている。佐藤は、自分もこの理不尽なシステム障害に襲われた「被害者の1人」として、いら立ちと不安の中にいた。
そのとき、少し離れた情報システム部長・中村(50歳)の席から、異様なほど鋭い電話のベル音が響いた。受話器を取った中村が、絶句したまま立ち上がる。フロア中に漏れ聞こえてくる、受話器越しでもわかるほどの激しい怒号。
「攻撃?ウチが、ですか……?」
中村の困惑した声が届く。佐藤は、中村の背中が目に見えて強張るのを見た。
「4工場、すべて停止……。損害賠償……」
聞こえてくる不穏な単語に、佐藤の心臓が嫌な跳ね方をした。何かが、自分の想像も及ばないようなスケールで壊れ始めている。中村はそのまま青ざめた顔で社長室へと駆け込んでいった。
工場のラインの崩壊
Kが週末に送信予約しておいたメールは、『Re:先日の請求書の修正の件につきまして』という件名で、極めて自然に偽装されたEmotet(エモテット)型のマルウェアだった。
これを開封した帝国自動車の担当者のパソコンを経由し、生産管理システムが感染。
「ジャスト・イン・タイム」方式を採用している工場のラインは、部品供給のデータがロックされた瞬間、心停止したように静まり返った。1分止まるだけで数百万円の損失が出るといわれるラインが、完全に沈黙したのだ。
それからの4時間は、まさに地獄だった。中村や情シスのメンバーが、血走った目でサーバー室と社長室を何度も往復し、フロア中を罵声と怒号が飛び交う。
「誰が原因だ!」
「ログを洗え!」
犯人探しという名の狂気がオフィスを支配していくなか、佐藤は「自分だけは関係ない」と信じようと必死だった。しかし、午後6時。フロアの窓の外が完全に夜の闇に包まれたそのとき、佐藤のデスクの内線電話が鳴った。
