しかし、その踏み込み方には、以前よりもはるかに精密な設計が求められるようになっている。誰の名前を出すのか。本人との関係性はあるのか。言われた側がどう受け取る可能性があるのか。発言した側に本当にその意思があるのか。放送後に発言だけを切り取られたとき、どういうふうに見えるのか。番組の枠を超えて話が広がっていったときの影響まで想定しておかなければならない。
昔なら「テレビの中の冗談」で済んだことが、今はそれだけでは済まされない。悪意がなかったとしても、結果的に誰かを傷つける形になれば、炎上は避けられない。
バラエティの面白さは、きれいごとだけでは生まれない。人間関係の摩擦や、ちょっとした失礼さや、言ってはいけないことを言ってしまう危うさの中に、笑いが生まれることはたしかにある。
その点で、テレビ側が必要以上に萎縮することはない。しかし、今後はそういう種類のエンターテイメントを提供するには、これまで以上に繊細な配慮が求められることになる。
陰口トークが終わったわけではない
今回の一連の騒動は、バラエティ番組における陰口トークが完全に終わったことを意味するのではない。むしろ、これまでは時として見過ごされることもあった出演者同士の「関係性」や番組上の「文脈」こそが、これからの時代には最も重要な要素になるということだ。
これからのバラエティに求められるのは、すべての毒を排除することではなく、毒を笑いとして成立させるための設計をより緻密にすることなのだ。
