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18歳で消費者金融に走り、600万円を後輩に渡して上京…元ヤンキーが「全財産700円」から「福祉の最前線」に立つまで

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熊谷勇太さん
重度心身障害者や医療的ケアが必要な人でも入居できるシェアハウスを運営する熊谷勇太さん(写真:筆者撮影)
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「親がどうとか、施設で育ったからとか、学歴がないからとか、どれも言い訳にはしたくないんですよね。周りがどうであろうと、全部選択したのは自分じゃないですか。それによって今があると思ってるし、自分次第でなんとでもなると思っています」

誰にも迎合しない姿勢があったからこそ、自分の人生を自分で舵取りし、責任を持つ考え方がインストールされたのかもしれない。

波乱万丈な半生を送った熊谷さんだが「父には感謝しかないです」と繰り返した(写真:筆者撮影)

ところが、意気込んで会社をスタートしたものの、フリーランス時代に「応援するよ」と言っていたはずの事業所も、競合関係になった途端に冷たくなり、仕事はゼロに。

しかし熊谷さんには、過去にすべてを手放してゼロからやりなおした経験がある。地道に仕事を求めて区役所や相談支援事業所を回り、どの事業所も断るようないわゆる「困難ケース」と言われる事案を引き受けた。すると、フリーランス時代の利用者や介護士から「熊谷さんのところに行きたい」という連絡が来るようになり、少しずつ軌道にのった。

何十回もの交渉で得た「止める権利はありません」

けれど、難しいケアを引き受ければ引き受けるほど「親なきあと」の重さがのしかかってきた。介護士として自宅に訪問しても、家族がまったく休めていない様子に、無力感を感じることも多かった。

いつしか「訪問介護事業だけでは、自分が関わる人たちを本当の意味で安心させることができない」と考えるようになった熊谷さん。特に、行き場がないとされていた重度心身障害者や医療的ケアが必要な人でも住める場所の構想を始める。

ありとあらゆる法律や制度を学び、東京都に何度も確認に行ったが、福祉施設として継続的に事業をおこなう絵はなかなか描けなかった。日中のみ、夜間のみなど限定的な支援の方法はあったが、それでは意味がない。熊谷さんの頭の中には、車椅子をかついで箱根に行き、露天風呂に入ってビールを飲んだ脳性麻痺の男性の笑顔があった。

そこで、福祉の法制度の外で「シェアハウス」をつくり、訪問介護士を派遣することでビジネスとして成り立たせようと考え、新たに株式会社HABINGを立ち上げた。既存の枠組みに違和感を覚えたとき、それに従うのではなく、自分で仕組みをつくりかえようとする姿勢は、一貫している。

福祉施設ではないので国や自治体から補助金は受けないが、シェアハウス運営が法律上問題ないかどうかは丁寧に確認した。法制度を足かせにするのではなく、利用者を守るために活用したかった。

何度も足を運んだ末に「違法ではないので、止める権利はありません」と東京都が言った瞬間、心の中でガッツポーズを決めた。

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【施設ではなく、「家」】

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