この頃の父は何台もの車を所有し、家政婦もいた。熊谷さんも毎週末のように高級車に乗って旅行に出かける贅沢な暮らしを送る。新しい母は料理上手で、だしの取り方や煮物の作り方まで、料理の基礎を教えてくれた。
しかしその後、バブルが崩壊して会社は倒産し、父は再び離婚。小学4年生のある日、父に誘われるがままにボストンバッグをもって家を出ると、まさかの夜逃げだった。
親戚がいる北海道に身を寄せ、その日から極貧生活が始まった。しばらく親戚の家に居候した後、安アパートへ。風呂はなく、瞬間湯沸かし器のお湯でタオルを絞って体を拭いた。父は土木やトラック運転手の仕事を始め、コンビニの蕎麦の容器に米をつめて醤油をかけただけの弁当を持って仕事にでかけた。お腹がすいて父の財布をこっそり覗くと、入っていた全財産は700円。そっと財布を閉じた。
あるとき、父が交通事故にあい、病院に入院した。そこで看護師だった女性と懇意になり、結婚していいかと尋ねられた小学6年生の熊谷さんは、「オヤジの好きにしていいけど、迷惑はかけるなよ」と言い放つ。
父には父の人生があり、自分には自分の人生がある。父の人生の選択を否定したくはなかった。
IQ学校史上トップ「最強の中学生」の素顔
中学校に入学した熊谷さんは、IQテストで学校史上トップの点数を叩き出した。
しかし、時代はカラーギャングやチーマーなどがはやっていた平成初期。当時住んでいた北海道にも、ヤンキー文化が広がっていた。入学時すでに身長が170cmあった熊谷さんは、ガタイがいいという理由だけで標的にされ、先輩から次々に呼び出しを食らう。
真面目な人とも悪ぶっている人とも誰とでも対等に付き合う姿勢をとっていたものの、見た目は大柄な体格にスキンヘッド。売られた喧嘩を買ううちに、いつしか「最強の中学生」と恐れられるようになった。
その実、家計のためにと毎日欠かさず新聞配達をしていた。卒業後は義理の弟の進学を優先して就職を選ぶ。
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【そして迎えた18歳の誕生日】
