粂原圭太郎さんは京都大学経済学部に首席で合格し、競技かるたで第65〜67期名人位の3連覇を達成した。
「集中の偏り」を抱えた少年だった彼は、どのようにしてその才能を殺さずに成長できたのか。鍵は母親の関わり方にあった。
歩くより先に言葉を覚えた
粂原さんは、歩くより先に言葉を覚えた子どもだった。
「一応、生後8カ月くらいから人語を喋っていたみたいです。1歳半のときには、もう今と同じくらい話していたらしいんですよ」
冗談めかして話す粂原さんだが、家族の記憶はもう一歩踏み込む。
「お腹の中にいたときのことを覚えていて、『水の中にいた』とか『泳いでた』とか言っていたらしいんです。さすがに僕自身は覚えていないんですけどね(笑)」
群馬県高崎市で生まれ、両親と祖父母に囲まれて育った。
小学校に上がると、その早熟さは成績に現れる。学年で“いちばんできる”子。授業中、先生の話を一度聞けば理解してしまう。教師からは「段違いな天才」と評された。今ならば「ギフテッド」と呼ばれていただろう。
ところが、そんな粂原少年にはもう一つの顔があった。
「集中する対象が決まると、ほかが見えなくなるんです」
家に帰った瞬間、ランドセルは玄関に放り投げられ、本人は遊びに飛び出していく。
そのランドセルを毎晩黙々と整えていたのが、母親だった。
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【母は叱らなかった】
