しかし、その先は順風満帆ではなかった。
高校に入ってから、粂原さんは首を骨折する大ケガを負う。机に向かって参考書を広げることが難しくなり、長時間うつむく姿勢が取れない期間が続いた。
さらに激しいめまいに襲われるメニエール病の症状にも悩まされた。受験生を迎える前に、彼は致命的なハンディを負った。
ところが、ここでも彼はそれを逆手にとる。
「机で読むのが無理なら、音で勉強すればいい。授業の録音を聞き直したり、参考書を音読してもらった音源を繰り返し聞いたりしているうちに、自分は『耳から入れたほうが圧倒的に覚えが早い』ことに気づいたんです」
のちに本人が「認知特性」という言葉で語ることになる、聴覚優位タイプの自覚である。視覚情報を取り込みづらい身体の状態が、結果的に自分にとって最も効率のいい学び方を発見させた。
そうして臨んだ大学受験。粂原さんが目指したのは京都大学だった。
「日本の優秀な大学のなかで、いちばん自由に過ごせるのが京大だと感じたんです。勉強だけしていたいわけじゃない。かるたも、起業も、好きなことを並行してやりたい。そう考えたとき、京都という距離と、京大という空気がちょうどよかった」
2010年、京都大学経済学部に首席で合格。高校時代の最高偏差値は95を記録していた。
「異端」と呼ばれた京大初のかるた名人
入学後、粂原さんはいったん競技かるたから離れるつもりだったという。高校で出せる結果は出し切った、という感覚があった。
引き戻したのは、1学年上の先輩であり、のちにクイーン位にも就く山添百合さんだった。
対戦して圧倒され、「まだやれることがある」と火がつく。京都大学かるた会で再び札と向き合う日々が始まった。
そして19年1月、近江神宮。3連覇中だった川崎文義名人を相手に、第5戦までもつれる激闘の末、粂原さんは第65期名人位を獲得する。続く66期、67期も防衛し、かるた名人位を3連覇した。
そのスタイルは、伝統的な「聞いて取る」王道とは異なる。相手の苦手を分析し、音と同時に手を出して揺さぶる。徹底して論理的で、効率的で、合理的。歴代の名人クイーンたちは、彼を「異端」と評する。
「王道とか普通とかではないから、強いけれど模範にはなれない。でも普通じゃない、新しいやり方で勝ちたい。そこは今も変わらない信念ですね」
過集中、段取りの苦手さ、聴覚優位という認知特性、異端への嗜好――。少年時代に「困りごと」として扱われかねなかった性質が、ことごとく強みに変換されていた。
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【そして現在…】
