しかし、「現在の負担」が可視化されている一方で、「将来の便益」が極めて不透明なのもまた事実だ。生活が苦しい独身層に「将来のためだから文句言わずに払え」という論理だけでは、到底賛同は得られないだろう。
「今、自分の財布から出ていく1000円」の痛みに対し、30年後に返ってくるかもしれない「社会の維持」というリターンは、あまりにも不確実で遠すぎる投資に見えるのだ。
国民の分断の先にあるのは「異次元の少子化促進」だ
さらに問題を複雑にしているのが、誰もがいつかは結婚して親になるという前提があった「皆婚社会」から、「難婚社会」になったことである。「皆婚社会」は、子育て支援は「将来の自分(または隣人)への支援」として受け入れやすかったが、「難婚社会」は、個人の選択の問題である以上に、「特権的な人々の選択肢」として認識されるようになりつつある。
また、価値観の多様化により、現代では、「非婚」「選択的シングル」(どちらも自らの意思で「結婚しない」ことを選択した状態のこと)と同様に、「子どもを持つことは、個人的なライフスタイルの一つ」という考え方が色濃くなっている。
そうなると、「あなたの自由な選択(子育て)のために、なぜ私の生活費を削ってまで援助しなければならないのか?」と問いが出てきてもおかしくはない。実際、そんな言説はSNSで頻出している。
この問いに対し、政府は「将来の労働力になるから」というマクロ経済的な回答しか持っていない。だが、個人の幸福や自由が最優先される現代において、その回答はあまりにも貧弱すぎるだろう。
しかも、政府が率先して国民の分断をあおる「謎の支援金」の徴収を開始し、その支援金率は段階的に引き上げられる予定になっている。実のところ、個人が天引きを意識しやすい支援金名目の徴収は悪手としか言いようがない。
膨大な予算を投じた少子化対策の失敗を検証しないまま、安定財源の確保に走った代償は決して小さくない。同支援金の原点は、岸田政権時の「異次元の少子化対策」であったが、それが結果的に「異次元の少子化促進」へのシフトチェンジを後押しするのに、さほど時間はかからないだろう。

