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5月9日、モスクワ赤の広場で行われた、恒例のロシアの対独戦勝記念日パレードは、5年目に入ったウクライナ侵攻における攻防の構図が大きく変化したことを象徴する歴史的出来事になった。その「変化」とは何なのか――。
まず最大の変化は、ロシアが首都防衛における軍事的脆弱性をまざまざと露呈したことである。
旧ソ連時代は地味な祭日だった戦勝記念日は、2000年に大統領に就任したプーチンが盛大に祝い始めた国家最大の祝祭である。14年のクリミア違法併合で「強い指導者」として国民から絶大な支持を集めたプーチンとしては、対独戦争勝利の記憶を今回の侵攻での戦勝につなぎ、「常に勝利をもたらす大統領」として、さらなる政権長期化につなげる戦略だった。
例年の兵器行進が中止、パレードは縮小した
しかし、今年のパレードはこれまでとまったく様相を異にした。ウクライナがパレード中の赤の広場へのドローン攻撃の可能性をちらつかせたことを懸念したクレムリンが、兵器行進を中止するなど、パレードの規模を縮小したのだ。
例年なら、4月から始める予行演習も5月に入ってから行うなどして、ウクライナの出方をうかがった。プーチンが赤の広場に登場しないとの憶測も流れた。ロシアのラブロフ外相も欧州各国に電話して、攻撃しないようウクライナに要請してくれと懇願するなど必死の対応だった。
結果的にアメリカのトランプ大統領がパレード前日、プーチンの要望を受け入れる形で9日を挟んで3日間の停戦を提案。これにウクライナも同意したことで、パレード攻撃という、プーチンにとって最悪のシナリオは土壇場で回避できた。
しかし、結果的にみれば、戦勝記念日という最大の祝祭行事が、トランプ、ゼレンスキー両大統領の「安全の約束」を得て、ようやく開催できたという、ロシアにとって、屈辱的な事態となった。
9日の演説でプーチンは「勝利はわれわれのものだ」などと戦勝への確信を強調してみせたが、当然ながら表情は暗かった。国民に勝利への予感や期待感を与えられなかったばかりか、逆に一層強い不安感を与えたのは間違いない。
モスクワはもともと、ロシアで最も防空ミサイルシステムで手厚く守られている地域である。それなのになぜ、プーチンがここまでウクライナによる攻撃の可能性に怯えたのか。
その背景には、パレードの数日前にモスクワのある地区に対しウクライナが行った長距離ドローン攻撃があると筆者はみる。
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【ロシア政権最高幹部やオリガルヒが住む地区が攻撃された】
