そしてここで、集団主義が人を不幸せにしうる、残る2つの理由に話が戻ってくる。
第1に、もし私の成功があなたに大きく依存していたら、私は2つの関連した行動を取るだろう。
私はおせっかいになる。そして、社会的比較、すなわち自分と他者との比較をする。もしあなたの猟の獲物が私の腹を満たすことがときどきあるのなら、前の晩、あなたが矢をきちんと準備しているかや、翌日狩りに行く場所の計画をしっかり練っているかを知りたがるだろう。
そして、当日あなたが何を持ち帰り、何を持ち帰りそこねたかにも、細心の注意を払うはずだ。同様に、もしあなたが自分の農地の灌漑用水路をどのように維持するかが、私の稲の生育に決定的に重要なら、あなたにはぜひとも、きちんと仕事をしてもらいたがるだろう。
その結果、私はあなたのしていることに注意を払うだけでなく、あなたの働きぶりを他の全員の働きぶりと比較する。そうしないと、あなたの成功や失敗が偶然の産物なのか、それとも技能の表れなのかが曖昧になりうるからだ。
もしあなたが、過去数週間にまったく獲物のない唯一の狩猟者だったら、あるいは、最近の雨の後、灌漑用水路に水が流れていない唯一の農民だったなら、それはあなた自身の至らなさのせいだ。
だから、私が気に懸けるのは、あなたの成功や失敗だけではない。あなたの実績が、私自身を含めて他のすべての人の実績と比較してどの程度かも気になる。
集団主義と社会的比較
この社会的比較のプロセスは、他者の働きぶりを知るのに役立つし、自分の働きぶりも教えてくれる。誰もがこの比較をしているのを私たちは承知しているので、他の人がいつも私よりも成果をあげていたら、ほどなく自分が集団から爪弾きにされるだろうことは、子どもでもわかる。
要するに集団主義によって、人が他者との社会的比較を行う度合いや、そのような比較の結果に与える重要性が増す。
私たちは社会的な生き物なので、自分が他者よりも劣りはしないかどうか、いつも(特に、配偶者を求めて競い合っているときには)気にするが、他者に劣ると、個人主義者よりも集団主義者のほうが悲惨な目に遭う。

