最後に、世界がより個人主義的になっているのには、富の増大と家族の縮小に加えて、第3の理由がある。集団主義は幸福に悪影響を及ぼすことだ。
どうしてそうなるかを考えるにあたっては、文化的慣行は私たちを幸せにするために進化するわけではないことを忘れてはならない。
文化的慣行が現れ、根づき、拡がるのは、その慣行のおかげで人が環境や互いと、より効果的に闘えるようになるときだ。
だが、人は幸せになりたがる。不幸につながる文化的慣行が生存のためにあまり必要でなくなると、後の世代は採用する気になれなくなることが多く、その慣行は徐々に廃れる。
では、なぜ集団主義は不幸を招くのか? 他者へのつながりが私たちの最も基本的な欲求なら、つながりを重視する社会のメンバーが不幸せになることなど、どうしてありうるのか?
この疑問には3つの答えがある。そのうちの1つは、つながりを重視するときにはいつも自主性を犠牲にしなければならないという事実だ。
残る2つの理由は、つながりには責任がつき物である事実に由来する。そして、生存という基本的な欲求によってつながりが求められていればいるほど、その責任は重大になる。
自己完結している活動は誰も気にしない
一例を挙げよう。バスケットボールの腕を上げようとしている人を想像してほしい。バスケットボールが楽しいから、あるいは、学校のチームに入ることを夢見ているからだ。
その人(仮に「クリステン」と呼ぶことにする)が、自分の興味から、つまり自主性に基づいてプレイしているとしたら、誰にも義理があるわけではない。
バスケットボールが上手だろうが下手だろうが、彼女の才能あるいはその欠如は、誰にも恩恵も害も与えない。
だから、彼女が日頃からきちんと練習しなくても、本当に気にする人はいないし、体育館でプレイしているときにシュートを外しても、誰も腹を立てたりしない。

