週刊東洋経済 最新号を読む(5/16号)
東洋経済オンラインとは
キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

「家臣2人を殺害→放浪の身に」7度主君を変えた問題児、藤堂高虎が秀長のもとで花開くまで

7分で読める
居場所を転々とした男が秀長という主君のもとで初めて本来の力を発揮し始めます(写真:mthrmyt / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

INDEX

「ポテンシャルは高いのに、どの職場でも長続きしない」

「環境が変わるたびに全力を尽くすのだが、なぜかうまくいかない」

そんなタイプは現代のビジネスパーソンにも少なからずいるが、戦国時代にも、まさにそういう男がいた。藤堂高虎である。

居場所を探し続けて主君を7度も変えた男

高虎は生涯で7度も主君を変えたことで知られる。その出発点は浅井長政であり、紆余曲折を経て豊臣秀長のもとで活躍するまでの道のりは、波乱に満ちたものだった。後世には「変節漢」と呼ばれることも多い藤堂高虎。前半生では、どんな道のりを歩んだのか。

弘治2(1556)年、高虎は近江国犬上郡藤堂村で生まれた。藤堂氏の祖となる人物は景盛といい、足利将軍家に仕えたことをきっかけに「中原」から「藤堂」へと姓を改めている。

藤堂高虎の祖父にあたる忠高は、多賀良氏の娘「とら」を養女としたが、この「とら」が高虎の母である。高虎の父・虎高が「とら」と結婚して生まれたのが、高虎ということになる。

次ページが続きます:
【勇猛さは父譲りで浅井長政に仕える】

2/4 PAGES
3/4 PAGES
4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象