三河国吉田宿の吉田屋という餅屋で餅を食い尽くしたものの、金がないために、高虎は正直に事情を話して謝罪。すると、餅屋の主人は代金を免じたうえで、路銀まで与えて送り出してくれた。後に出世した高虎はこの店を訪ね、分相応以上の礼をした……。
そんな逸話である。藤堂藩家老の中川蔵人が日記に記したものが、後世で広まったらしい。実際にあった話かどうかはともかく、紆余曲折が多かった高虎の下積み時代が、人々の関心を引くものだったことがわかる。
秀長という「器」との出会い
そんな高虎に転機が訪れたのは天正4(1576)年のことだ。豊臣秀吉の弟・秀長に招かれて、300石で仕えることになった。
秀長のもとで、高虎は見違えるような活躍を見せる。丹波攻めや賤ヶ岳の戦いなど次々と手柄を立て、知行はいつしか4600石にまで跳ね上がっていた。
高虎は秀長から「築城」という新しい才能を開花させる場を与えられた。和歌山城、大和郡山城など様々な城の築城に携わるなかで、武将として実戦で培った攻守の感覚を設計に重ね合わせながら、独自の築城術を身につけていく。のちの「築城の名人」としても、高虎は名を馳せる。
浅井家での初陣から数えると、高虎がようやく腰を落ち着けられる場所を見つけるまでに、10年以上の歳月がかかっていた。
居場所を転々とした男が、秀長という主君のもとで初めて本来の力を発揮し始める。
秀長との出会いは、高虎にとって、初めて「この人のために働きたい」と思える主君との出会いだったのかもしれない。
【参考文献】
藤堂高文著ほか『宗国史<上>』(上野町教育会)
『寛政重修諸家譜』(國民圖書)
諏訪勝則著『図説 藤堂高虎――乱世を駆け抜けた稀代の名将』(戎光祥出版)
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広著『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(中公新書)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
宮島敬一著『浅井氏三代』(吉川弘文館)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
金松誠著『松永久秀 シリーズ・実像に迫る』(戎光祥出版)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)

