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キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

「家臣2人を殺害→放浪の身に」7度主君を変えた問題児、藤堂高虎が秀長のもとで花開くまで

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居場所を転々とした男が秀長という主君のもとで初めて本来の力を発揮し始めます(写真:mthrmyt / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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想起するのは、織田信長に仕えて「槍の又左」と呼ばれた前田利家である。

利家は信長と弟・信勝との間で起きた「稲生の戦い」では、敵の矢が右目の下に突き刺さりながらも奮戦。続く守護代岩倉城主・織田信安の息子・織田信賢との争い「浮野の戦い」でも功績を挙げ、利家は信長の親衛隊である「赤母衣衆(あかほろしゅう)」の筆頭に抜擢されている。

そうして織田家の家臣として頭角を現した矢先に、信長に仕える拾阿弥(じゅうあみ)を斬り殺してしまう。拾阿弥の態度が目に余るため、織田家を思っての行動だったが、この不始末に信長は激怒。利家には出仕停止処分が下されてしまう。あやうく死罪にされるところを、柴田勝家や森可成らがとりなしたとも言われている。

信長に許してもらうためには、戦で結果を残すしかない。利家は謹慎中の身でありながら、密かに戦に参加。戦功をあげることで、なんとか家臣団への復帰が認められたようだ。

だが、高虎の場合は、利家のようにかばってくれる人がいなかったのか、もしくは、高虎のほうに主君へのそこまでの思いがなかったのか、不始末のあと、浅井氏から離れるべく逃走。山本山城主の阿閉貞征(あつじさだゆき)に仕えたとされる。

間もなくして、かつての主君・長政は織田信長との戦いに敗れて、自刃に追い込まれている。浅井氏は滅亡し、高虎の最初の仕官先は、早々に消えることとなった。

流浪の身となって餅代にすら困ったという逸話も

しかし、高虎は阿閉貞征のもとでもトラブルを起こす。阿閉氏の家臣2人を殺害している。無礼な態度をとられたことに腹を立てたらしい。

そこで高虎はまたもや出奔し、浅井長政の旧臣である磯野員昌(いそのかずまさ)の家臣となるも、今度は員昌が行方をくらましてしまう。員昌と親しい織田信澄(のぶすみ)に仕えるなど、主君を転々した。

信澄のもとからも立ち去った高虎は、放浪の身となって餅代すらも払えなくなった――。そんな逸話は聞いたことがあるかもしれない。

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【餅屋で餅を食い尽くしたものの、金がない】

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