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キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

「2万人を火あぶりにした信長の暴虐」比叡山延暦寺の3年後…長島一向一揆で秀長が信長から学んだもの

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長島城跡
長島城跡(写真:たき / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。
連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第19回では、秀長も出陣した「長島一向一揆の討伐」など宗教勢力に対する信長の対応について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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警告を無視した比叡山延暦寺に激怒した信長

「金ヶ崎の戦い」では、浅井氏が裏切って朝倉氏に着いたことから、窮地に追い込まれた織田軍だったが、藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が「殿(しんがり)」という役目を見事に全うしたことで、無事に京へと退却することができた。

リベンジを果たすべく、織田軍・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍と激突した「姉川の戦い」では、信長たちが勝利を収める。

だが、江戸幕府の公式史書『徳川実紀』に書かれているように、家康の大活躍によって圧倒的な勝利を収めた……というのはどうにも怪しい。

「姉川の戦い」では、浅井長政を討ち取るまでには至らず、その後は三好三人衆の巻き返しや、比叡山延暦寺や石山本願寺などの強力な宗教勢力に信長は手を焼いている。

浅井・朝倉軍が比叡山延暦寺に立てこもると、信長はこんな書簡を比叡山側に送った。

「朝倉・浅井軍への協力を禁止し、もし協力すれば、全山を焼き討ちにする」

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【比叡山側は書簡の返事をしなかった】

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