だが、信長のこの行為が、仕方のないことだとして当時から人々に受け入れられたわけではもちろんない。同じく残忍だったとされている武田信玄をして「信長は天魔の変化」と言わしめた。
2万人を火あぶりにした信長の暴虐ぶり
そして比叡山の焼き討ちから3年後、再び信長は大事件を起こす。長島一向一揆に対する火あぶり――比叡山の焼き討ちを凌駕する史上最悪の大量虐殺である。
反信長だった本願寺門徒らは、尾張国長島で一揆を起こした。信長はそれを討伐しようと兵を出したが、かつて2度の敗北を喫していた。
しかし、3度目の正直とばかりに信長が軍を起こしたのが、天正2(1574)年7月。今回は一揆軍を閉じ込めようと、四方から包囲するように兵を進めた。
信長はこの戦いで一揆軍の5つの砦をすべて落とし、ようやく快勝を収める。数えられないほどの戦死者が出る中、一揆軍の2万人を信長は生け捕りにした。2万人を数珠繋ぎにして広場に集めさせると、周囲に大量の薪を積み上げ点火。火あぶりで処刑したというから、すさまじい。
豊臣秀吉の弟・秀長もまた、信長の暴虐ぶりには驚かされたことだろう。
この長島一向一揆の討伐が行われたとき、秀吉は越前一向一揆に備えて現地入りしていた。そのため、代わりに弟の秀長が羽柴隊を率いることとなった。
信長の馬廻りであった浅井信広とともに、秀長が一揆勢と戦ったことが、『信長公記』に記されている。
信長の命によって2万人にも及ぶ一向宗門徒が焼き討ちにされているのを目の当たりにして、秀長は絶句したことだろう。
「ここまでやるとは……」
秀長は、このときの信長による、武装した宗教勢力への断固たる対応がよほど忘れられなかったらしい。のちに自身も大和国の統治者として宗教勢力と対峙するときに、厳しい姿勢を貫くこととなる。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広著『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(中公新書)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
宮島敬一著『浅井氏三代』(吉川弘文館)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
金松誠著『松永久秀 シリーズ・実像に迫る』(戎光祥出版)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)

