夜中も背もたれのない椅子に座って息子を見守り続け、彼らも疲弊していた。何より介護の素人なので行き届かないことが多く、回診に来た医師が危惧し、専門の介護士を雇うよう大学職員に勧めたそうだ。
状況を知ったAさんは介護士を雇うことを即断し、数日分の費用を払って学生を帰宅させた。筆者には事後報告だった。その後、クレカ保険のサポートデスクの承認が下り、介護士費用は保険でカバーされることになった。
病院を根城にする「高おじさん」
事故から6日後。ノービザで中国に入国できるようになった11月30日、筆者はカイロ→イスタンブール→広州と乗り継いで、日付が変わるころ中国北部にある息子の病院に到着した。その間にもビザの問題で飛行機への搭乗を拒否され、航空券を取り直すハプニングがあったが、ここでは割愛する。
真夏のカイロから、真冬の中国へ。まずはユニクロと無印良品に冬物を買いに行った。直前までアフリカでぼったくりや客引きと戦っていたので、「日本企業が進出している大都市で事故に遭ったのは不幸中の幸い」とほっとし、無印でフリーズドライの味噌汁を爆買いした。
病院で再会した息子は、頭部切開の手術跡が痛々しいことこの上なかった。Aさんは「手術後の姿を見ても心労を与えるだけ」と、写真を送ることを控えていた。
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【お世話になった介護士の「高おじさん」】
