ここでいうセオリーとは、学術的な理論ではない。私たちが世界をどう理解し、何を因果関係として捉え、どのように行動すべきかを決める「思考の枠組み」である。言い換えると、私たちが日常的に無意識のうちに使っている、
・何が重要か
・何が原因で何が結果か
・どうすればうまくいくのか
といった判断の前提となる、世界の見方・理解の仕方の枠組みである。重要なのは、思考それ自体は中立ではないということである。
つまり、
思考は問題を解決するだけでなく、問題を固定化する力も持つ
のである。
なぜ「考えるほど間違える」のか
この点を理解すると、先ほどの逆説は説明できる。人は、何かを判断するとき、自らのセオリーに基づいて情報を解釈する。そして、その解釈がさらにセオリーを強化する。
このプロセスは、キムがいう「パラダイム生成ループ」として説明される。
このループが回り続けるとどうなるか。
考えれば考えるほど、同じ結論に収束していく。
そしてその結論が誤っていた場合、
思考そのものが誤りを強化する装置になる。
たとえば、プロジェクトの現場でよく見られる「サバ読み」という行動がある。
上司の側には、「部下が提出する予算や納期の見積もりは、現実を正確に反映したものである」というセオリーがある。一方で部下の側には、「遅延がないように、不測の事態も織り込んで見積もるべきである」というセオリーがある。
これらのセオリーのもとでは、
・見積もりが提出される → 上司はそれを「正確な計画」として受け取る
・実際には余裕が含まれている → 問題なく期限内に完了する
・「計画通りに進んだ」と評価される → 見積もりは妥当だったと解釈される
という循環が生まれる。しかし実際には、
・過剰な安全余裕によるプロジェクト期間の長期化
・リソース配分の非効率
・意思決定スピードの低下
といった別の問題が発生している可能性がある。
たとえば、通常は3日で終わる試作品の試験があったとしよう。しかし担当者は、不測の事態に備えて、余裕を持って2週間を要するという見積もりを報告するかもしれない。これは2週間あれば確実に納期を守ることができるからである。
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【問題は思考の量ではない】
