実は「しらさぎ」「雷鳥」を最初に利用した記憶もおぼろげで、「しらさぎ」に乗ったのは昭和50年代初頭の頃だったと思う。当時も赤スカートの481系が活躍していた。乗ってまず食堂車に行ったことは、写真にも残っている。筆者にとって北陸路の485系は、どちらかといえば乗るよりも見る・撮る列車だったのだ。
むしろ485系によく乗るようになった最初の機会は、73~74年に何度も訪れた九州の蒸気機関車撮影取材のときだ。この時は行き帰りに飛行機を使うことも多く、九州内の移動は特急「有明」や「にちりん」を多く使った。この頃以降、全国の特急列車を全て撮影する取材などで筆者は各地の485系を追い、乗車する機会も増えていった。
全国を駆けた485系の思い出
各地で活躍した、印象に残る特徴的な485系を見ていこう。
東北方面への電車特急は485系の独壇場であり、「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「つばさ」などさまざまな列車で活躍したが、東北の特急には独特の車両があった。それがクロ481形で、簡単にいえばグリーン車の先頭車両である。68年に特急「あいづ」「やまばと」の電車化時に登場した車両で、上野方の先頭に連結されていた。
クロ481形を組み込んだ列車では、上野―仙台間を結んだ特急「ひばり」の13両編成が知られている。485系の編成は最大12両編成が多かったが、13両編成の「ひばり」はクロ481形とともに2両目もグリーン車のサロ481形を連結していた。13両編成の「ひばり」は73年1月に運転を開始し、食堂車を組み込んだ黄金期の編成として記憶に残っている。
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【一時期だけのヒゲなし「ひたち」】
