485系はその後、国鉄で最も急な勾配区間であった信越本線・横川―軽井沢間の碓氷峠で、補助機関車のEF63形との協調運転に対応した派生系列の489系も登場。上野と金沢を信越線経由で結ぶ「白山」などに使用された。
先頭車は当初ボンネット型だったが、72年に登場した200番台以降はボンネット型から脱却し、分割・併合運転を考慮した前面貫通形となった。しかし、実際に貫通扉が使われた例はわずかである。その後の300番台は同スタイルで非貫通型となった。この「顔」と、クリーム色に赤帯の塗り分けは「国鉄特急」の象徴であった。
北陸本線特急の思い出
福井県武生出身の筆者は18歳のとき、北陸本線の電化と電車特急の登場を実際に見ている。「雷鳥」「しらさぎ」が赤スカートのボンネット型481系で颯爽と走った記憶は鮮烈だ。まだ当時は福井機関区にD51形や8620形蒸気機関車が在籍していたから、入換用のD51形の横をボンネットの「雷鳥」が通り過ぎるショットも残っている。
しかし当時の北陸本線ではまだ特急を利用する人は限られており、急行を使う人が多かった。筆者自身も、上京してから武生に帰省するときは急行列車に乗れる「北陸均一周遊券」を利用していたので、追加料金が必要となる特急に乗ることはまずなかった。
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【乗るより「撮る」だった北陸特急】
