しかし、自らの選択の恣意性を自覚したうえで、意図しない偏りを起こさないように、注意深く自らをコントロールすれば、「独自の方向性」をもたせつつ思考を深められる。そして、この「独自の方向性をもつこと」自体が、人間のAIへ優越する部分であり、人間らしさそのものではないでしょうか。
現代人が「東大・京大入試」を解く意味
AIには、思考のベクトルを意図して築き上げられない。自らの「意図」がないからです。我々がAIに代替されない人材となるためには、一つの手段として「意図」を生み出せるかどうかが分かれ目になるはず。
自分自身の思考の「方向性」を見出すためには、必要な情報や、これまでに人類が築き上げてきた様々な「思考のベクトル付け」を解析することがヒントになるでしょう。世界にはどんな情報があふれているのか、先人たちはどのようにして思考のベクトルを作り上げたのか……これを学ぶことは、必ず人生を豊かにするはずです。
そして、誤解を恐れずに言うならば、これこそが「勉強」という行為の本質でしょう。
「温故知新(古きを温め新しきを知る)」と言いますが、これこそ我々がいま取るべき態度を端的に表す言葉です。かつて人類の先人たちが調べ、述べ、考え抜いた内容(歴史、文学、数学、科学の蓄積)に触れ、そこに存在する「既知の矢印(ベクトル)」の束を観察して、はじめて自分自身の肉体と頭脳をどこへ向けるべきかが見えてくる。
だから勉強がいる……といっても、目標のない勉強は厳しいもの。私自身も覚えがあります。そこで、ちょうどいい試金石となるのが、東大・京大入試ではないかと思うのです。
確かに東大・京大の入試問題は難関です。それは、広範かつ深遠な情報を、複合的に組み合わせて新たな答えを導き出す、一連の記憶・思考プロセスを高いレベルでなす必要があるからにほかなりません。
逆を言えば、これが解ける程度まで自らを苛め抜く過程の中で、必ず自らの思考を磨き、未知の事象に対するアプローチの仕方を学ぶタイミングが来ます。
なぜなら、東大・京大の入試には、人類が蓄積してきた「論理的思考の型」や「事象を抽象化・モデル化する力」が極めて純度の高い形でパッケージングされているのですから。
次ページが続きます:
【これからの人間の頭脳労働で重視されること】
