巷では「答えがある問題が出されるのは学生まで。社会に出ると、答えのない問題しかない」とよく言われますね。ならば、「せいぜい答えが決まっている程度の問題」には、答えられるように鍛錬したほうが、今後を生き抜く力が育つと、私は思うのです。
「合格するための経験」と「人間性を豊かにする経験」の違い
写真の台頭、機械産業の勃興、時計のクォーツショック……様々な技術革新の中で、現代は「人間の脳みそ」の番がやってきた。ただ、代替されたモノたちはすべて価値を失ったかと言えば、芸術も、手工業も、機械式時計も、逆に一定以上の価値を見出されるようになったはずです。
では、人間に出せる価値とは何か? AIに任せたほうが正確だし、速い。それでも人間に任せる価値とは? 「敢えて写真ではなく、絵画に残す」とか、「敢えて機械生産ではなく職人の手作業に拘る」など、珍しい話ではありません。
これらの話から相似関係を見出せば、おそらくこれからの人間の頭脳労働で重視されるのは「人間らしさ・あたたかみ」が生み出す差異でしょう。すなわち「思考の方向性」であり「意図」です。
これから先、我々にはブレない「意図」が求められる時代がやってきます。「自分は何を美しいと感じるか」「自分が生きるうえで大切にしたいものは何か」など、自らの魂の叫びを聞き取り、それを生きるうえでの様々な価値判断の基準として、基礎づけていく営み……すなわち「哲学」です。
もちろん、ここでいう哲学は、カントやニーチェの著書を暗記することではありません。ただ、哲学を育てるには、哲学書を含む多様な経験と広範な知識の入力が不可欠。東大・京大入試のためのトレーニングの道中で集めた様々な知識や思考法は、必ず「自分自身」が立脚するための助けになります。
とはいえ、進学塾に行けばいいといった話でもない。「入試を突破できる程度の経験」を得ることが重要なのであって、「入試を突破するための経験」には何の意味もないのです。入試を突破する程度の知的能力を得るだけならば、月額数千円も課金して高度なAIモデルにアクセスできるようにすれば済んでしまう。
現代では苛烈な受験戦争を勝ち抜くために、難関大学の入試をハックし、効率よく点数を取るテクニックを教え込む進学塾があふれています。「このパターンの問題が来たら、この公式を当てはめろ」「こう聞かれたら、こう答えろ」……まるで、人間を劣化AIにでもしたいかのようです。
入試突破に特化した内容をいくら詰め込んでも、得られるのは代替可能な技術にすぎず、人間的な成熟は保証されません。「タイパ」を重視するのであれば、むしろ「回り道」をすべきでしょう。一見すると受験に関係ない物事を見聞きし、学び、経験にする。それこそが、AIモデルと人間を分かつ手段でしょう。
また、大人になった今だからこそ、勉強に熱中する方も多くいらっしゃいます。かつて学生時代には「勉強なんて何の役に立つのか」と嫌悪感を抱き、点数稼ぎの勉強に嫌気がさしていたが、社会に出て酸いも甘いも噛み分けて、ふと気が付くと純粋な「知への興味」が出てきた……なんてよく聞く話です。
もしあなたが今、AIの台頭に漠然とした不安を抱え、「自らの価値を問い直したい」、あるいは「思考をもう一度研ぎ澄ませたい」と考えているのなら、効率やタイパなどAIの得意分野から離れ、あえて「東大・京大入試」を使って能力を鍛え直してみてもいいかもしれません。

