当の東大生たちすらも、日常的にAIを頼っています。私は、毎年50人以上の現役東大生にインタビューしていますが、ある東大生は「自分が必死に書いたレポートより、全部AI任せを公言して憚らない同級生のほうが、ずっと評価が高かった」と悔しさをにじませていました。
逆に、AI任せにする学生側は「数時間唸りながら自力で書くより、AIに適切なプロンプトを投げて数秒で生成させます。その時間で別のやりたいことをやったほうが、タイパがいいですから」とびっくりするほどドライな様子。
確かに、東大入試にしろ、書き物にしろ、音楽や画像、映像の生成まで手広くこなせるAIの前では、人にできる頭脳労働や思考作業なんてたかが知れています。
それでは、「人間が考えることに、価値はない」のでしょうか? 計算も、要約も、翻訳も、論理構築も、ひらめきすらもAIのほうが上なのだから、人間がわざわざ時間と労力をかけて「頭脳を磨く」必要は、もはやないのでしょうか?
そんなことはありません。むしろ私は、AIが思考の大部分を代替する「今」だからこそ、人間は自らの頭脳を磨き、思考のトレーニングを行う必要があると考えています。「AI時代に人間がわざわざ非合理な勉強をする意味」について考察します。
AIの「最大の弱点」
「人間はAIに勝てない」。これは確かにその通りです。疲れず、へたれず、文句を言わず、ひたすら働く機械に対して、リソース勝負を挑むのは無謀も無謀。
一方で、AIにも限界はあるはず。そこにこそ、人と機械を差別化するために、「我々が何をすべきか」を考えるヒントが隠されているはずです。そこで、私の考えるAI最大の弱点とは「入力された情報からしか学習できない」点でした。
どれほど性能が向上し、パラメータ数が天文学的な数字になろうとも、彼らは「インターネット上にテキストやデータとして入力された情報」の海から出ることができない。誰も言語化していない、もしくは誰もネット上にアップロードしていないことについては、学習する手段も機会もない。つまり「入力されないことについては、完全に未知数」なのです。
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【人間は「自律的に情報を入力しに行ける」存在】
