2011年3月11日午後10時。
地震発生後、初めて東京・霞が関と結んだテレビ会議が開かれた。国土交通省東北地方整備局のトップとして震災対応に当たっていた徳山は訴えた。
「阪神・淡路大震災とは違います。津波型の大災害を想定すべきです」
その訴えに、画面の向こうの「上司」(国土交通相・大畠章宏)はこう応じた。
「局長の判断で、いいと思うことは、国交省の管轄ではなくとも全部やってほしい。私にも事務次官にも事後報告でいい。国の代表と思って、あらゆることをやってほしい」
この一言は、その後に徳山が行う超法規的措置の政治的な後ろ盾となり、同時に部下たちの覚悟を定める言葉にもなった。
もう一つ、徳山の精神的な支えとなった言葉があった。
地震発生から数日後、徳山の携帯電話が鳴った。
心が定まった瞬間
「忙しいから一言だけ伝える。君が今日まで勉強してきたのは、この日のためなんだから、頑張れ」
電話の相手は、東京大学名誉教授・中村英夫。工学部時代、東北自動車道を卒業論文のテーマとした徳山の恩師だった。
震災発生直後、中村は徳山に連絡を取ろうとしたが、回線はつながらなかったという。数日後、国交省関係者が震災対応について、土木学会の会長などを務める「業界の大物」だった中村のもとへ説明に訪れた際、つながりやすい公用携帯を借りて電話をかけてきたのだという。
徳山は自問した。
そして、心が定まった。
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