「その時、ああこれで一つのドラマが終わるなと思ったんです」
すべてが崩れ落ちるような感覚。その一方で、「もうどうでもいい」という解放にも似た心境が芽生えた。そこから、鶴岡さんは「自分の人生をどう終えるか」という視点で物事を考え始める。
そんな中で出会ったのが、一杯の味噌ラーメンだった。
きっかけは偶然だった。横浜での仕事帰りに立ち寄った名店「雪ぐに」で食べた一杯。鶴岡さんは味噌ラーメンはそこまで好きではなかった。しかし、食後に電車に揺られながら、不思議な感覚に包まれる。
「なんか、癒やされたんですよね。すごくほっこりした」
派手さも尖りもない。しかし、心に残る。その感覚が気になり、調べていく中で「雪ぐに」の出身店である新潟・妙高の「食堂ミサ」に辿り着く。
「食堂ミサ」は1965年に当時経営していた自動車学校の食堂をもとにオープンした妙高市の老舗。ニンニクのバッチリ効いた味噌ラーメンは地元客を中心に愛され、一日1000杯売れる日もあるという妙高のソウルフードだ。
「ミサ」の魅力はどこにあるのか。鶴岡さんは「地域性と商品が完璧に合っていること」だと語る。
妙高という寒冷地において、ニンニクの効いた素朴な味噌スープは身体に染み渡る。さらに、こだわっていないようで、実は細部には強いこだわりがあることに鶴岡さんは気付いた。例えば、タマネギ一つにしても、使う品種や状態が厳密に決められている。長年の積み重ねが無意識の完成度を作り上げていた。
「トレンドを追わない」真逆の価値観
そして何より衝撃だったのは、「流行と戦っていない」という点だった。
「トレンドや流行とは一切戦わず、ずっとそこにあるだけで50年続いている。それが一番強い」
トレンドを追い、進化を求め続けてきた自身のラーメン人生とは、真逆の価値観だった。当初は「限定で味噌を出したい」という軽い相談だった。しかし「ミサ」の社長と対面した瞬間、鶴岡さんは直感的に決断する。
「看板、下ろします。ミサでやらせてください」
理由はほとんど説明できない。ただ、「考えたらやらない」と分かっていたからこその即断だった。
この決断は、ラーメン業界全体の流れとも無関係ではない。近年、個人店の経営は厳しさを増し、M&Aやチェーン化が進行している。そんな中で、新潟・妙高の味噌ラーメンが新たな潮流として注目され始めている。
次ページが続きます:
【「もう、がんじがらめのラーメンから解放されたいんですよ」】
