大阪なら右樹さんの実家がある滋賀県にも近く、さまざまな面でよい機会だった。ハナさんはこう振り返る。
「ゼロから日本で仕事を始める不安もありましたが、夫がやりたいことができる環境ならそれが一番だと思いました。結婚して韓国に住むことになったときは私の親が高齢だったので、亡くなるまでは韓国にいてもいいなと思ったんです。オファーのタイミングでは私の両親は亡くなっていましたから、これからは日本の両親の近くにいられたらとも思いました」
稲川家が大阪に引っ越したとき、長女は小学校6年生、次女が4年生だった。二人の娘は日韓ミックスだが「韓国で生まれ育っているので、彼女たちのアイデンティティは韓国人に近い」と右樹さんは言う。
ハナさんは当時をこう振り返る。
「特に長女は日本に来てからの2~3年、さまざまな葛藤を感じていました。気の合う友達がなかなかできず家にこもりがちで、かわいそうなことをしました。『日本に行くときに、私たちの意見を聞いてくれなかった』と言われたこともあります。ただ、子供たちに反対されたら日本に来なかったかというと難しいですね。夫だけが先に日本に行く選択肢もありましたが、家族が離れ離れになるのは嫌でした」
両親が同じ国籍だったらしなくてもいい苦労を…
日本に来て2、3年が過ぎると、長女も少しずつ日本の環境に慣れてきた。そのきっかけになったのは、日本に住む韓国系住民の団体で、さまざまな世代の人たちと交流したことだった。
「自分と同じ立場で悩む人たちに出会って、自分の悩みを話すことができたようです。高校では部活動で気が合う後輩がいて、学校に通うのも楽しそうで安心しました」とハナさんは言う。
右樹さんは、「日本にルーツがあるとはいえ、生まれ育った国を離れるのは彼女たちには酷だったかもしれません。国際結婚夫婦の子供ならではの経験だったと思います」と続けた。
「日韓夫婦の間に生まれた子供は、日本と韓国の国籍をもつ二重国籍の状態になります。韓国は二重国籍を認めていますが、日本は認めていないので、20歳までにはどちらかを選ばなくてはいけません。長女は日本国籍を選びました。両親が共に日本人や韓国人だったならしなくてもいい苦労をさせて申し訳ないとも思っています。でも、だからこそ見える景色もきっとあるはずです」
稲川家の娘たちは日本語・韓国語をネイティブ並みに話せるが、実はミックスだからといって必ずしもバイリンガルだとは限らない。子供たちが2つの言語を使いこなせるのは、両親が共に日本語と韓国語をネイティブ並みに話せることが大きく影響している。そして、ハナさんは子供たちが日本の文化に触れる機会を、子供たちが幼い頃から作ってきた。
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【結婚生活を続けてきた秘訣】
