失われつつある「最高に道徳的な時間」
夏休みの、作文の宿題を前にした子どもの姿を想像してみてください。
皆さんも経験したことがあるでしょう。原稿用紙を前にして、1文字も書けない苦しみを味わいながら、過去の経験を掘り起こし、自分の感情を言葉に変換するという「生みの苦しみ」がありました。
もしかしたらこの経験を単なる「イヤな思い出」だと思っている方もいるかもしれませんが、教育者の立場で見れば、意味がまったく異なります。このプロセスこそが、自分自身の内面を見つめ直す、最高に道徳的な時間だったのです。
それがいまや、AIに「楽しかった海の思い出を400字で書いて」と命じれば、わずか5秒で、それも自分で書くよりもずっと上手な文章が完成します。
宿題を「終える」ことはできますが、そこには子どもの成長も、道徳的な学びもありません。それどころか、このような経験を通じて、子どもは自分の「感性」や「表現」というハンドルを、AIに明け渡すことになるのです。
道徳教育学において、人間の発達は「他律から自律へ」というプロセスとして捉えられます。
生まれたばかりの子どもは、自分一人では何もできず、親の言葉に従い、社会のルールを学び、外部からの規律(他律)によって導かれます。
しかし、成長とともに、子どもは自らの内側に「自分はどうありたいか?」「何が正しいと思うか?」という自分だけの物差し(自律)を形づくっていきます。この「自分の内なる声に従って生きること」こそが、人間としての尊厳の源泉です。
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【AI時代に主体性を伸ばす問いかけ方法とは】
