福冨事務長が通信制の可能性を探っていた22年秋、国語科の教員に欠員が生じた。一見無関係に思える教員採用が、偶然にも筑女の通信制設置の「最後のピース」になった。
面接に現れたのは、県立高で長く教鞭(きょうべん)を執り、当時校長職にあった佐伯裕子教諭(63)だった。
「複数の県立高で校長を歴任し、教育委員会での経験もあった。最初はこれだけ実績のある方に一教員として来てもらっていいのかと迷った」福冨事務長だが、佐伯教諭と話すうちに別の考えが浮かんだ。
「通信制課程の開設は、学校の中にもう一つ学校をつくるようなもので、全体をマネジメントできる人材が不可欠です。まずは国語の教員として来ていただいて、通信制が実現したら責任者をお願いできると考えました」
選択肢の少なさに葛藤
県立高の校長を退職した佐伯教諭は23年4月に筑女に赴任した。そして最初の職員会議で、森田教諭が通信制開設を訴えるプレゼンを聞いた。
「あの時の衝撃は忘れもしません。私立高校は自分で立ち上げようと思ったら、やれなくはないんだと」(佐伯教諭)
実は佐伯教諭も長い教員生活において、不登校の生徒が学校を去っていくことに心を痛めていた。
「中学校まで問題なくやってきたのに高校に入ると勉強につまずく、起立性調節障害といった理由で学校に来られなくなる。そんな生徒はどの高校にも必ずいました」(佐伯教諭)
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【「全日制と文化や雰囲気が近い通信制課程」をつくりたい】
