「うちのやつが大事にしてきた場所で、最後の時間を過ごさせてやれた。最初はとんでもないと思ったよ。でもあいつが『帰る』って譲らないから、やってみた。そしたら、あいつのやってきたことが見られたし、楽しそうだったからよかったな。俺も楽しかったよ」と、ご主人はのちに私に語ってくれました。
自宅に帰ってきてから2カ月後、奥さんは再び入院し、そのまま静かに旅立ちました。
いかがでしょうか?
奥さんが息を引き取ったのは病院でしたが、それまでにヒロコさんもご主人も、実に自分たちらしい、特別な時間を過ごされました。
「いい時間」とはこんなふうに、本人やご家族のこれまでの人生の延長線上にある、とてもプライベートなものだと私は思います。
家に戻ると、人生の主導権も戻ってくる
しかし、現在の日本では、ヒロコさんたちのような、「その人らしい」エンディングを迎えるのは、なかなか難しいと言えます。7〜8割の患者さんやご家族は、病院に入院したまま、最後まで医療側に人生の舵を預けっぱなしにしたまま亡くなってしまうからです。
特に病院に入院して病衣を着ていると、人は必然的に「病人」の役割を演じることになります。そのせいで、ますます「残り時間は、好きなように生きていいんだ」という当たり前の事実を思い出せなくなってしまうのです。
けれど、病院を出て「家」に戻ると、その人は病を抱えただけの「生活者」に戻れます。すると、病気を治すために生きるのではなく、自分の人生をどう生きるかを、ごく自然に考えられるようになります。
これが、医療が主導権を持つ場所から、自分たちが主人公でいられる「家」に戻ってくることの効能です。
そう、「家」に戻ってくるだけで、人生の主導権がとても自然に、患者さんやご家族の側に戻ってくるんですね。
こうなると、患者さんもご家族も「今日は何をして過ごそうかな」「来週はどうしようかな」と自分たち主導で考えられるようになります。
これは、患者さんが病院ではなく、施設から戻ってくる場合でも同じです。
私が、たとえ一定期間であっても、あなたと大切な人が過ごす最後の舞台を「家」に設定してほしい、と言うのはそのためなんです。
というわけで、一緒に過ごせる残り時間がわずかで、そのとき患者さんが病院や施設にいるなら、ぜひあなたから「いったん家に帰ってみない?」と提案してあげてください。
そして、患者さんが「帰る」と言うなら、数週間でも、数カ月でも、受け入れる側が可能な範囲で構わないので、家で一緒に過ごせるようにしてあげてほしいと思います。
そんな舞台を最後に、あなたが用意してあげられれば、大切な人は人生の最終章を自分らしく、そして安心して迎えられるのではないでしょうか。

