進歩的な考えを持っていた増裕は、まさに明治に活躍するにふさわしい人物といえよう。それにもかかわらず、自ら命を絶った背景には、明治新政府による倒幕があった。
慶応3(1868)年に「王政復古の大号令」が発せられて、天皇を中心とした新政府樹立が宣言される。増裕はその前日の時点で家臣たちを集めて、朝廷側に味方することを、みなに伝えている。だが、その胸中は複雑なものだった。
朝廷に味方するということは、朝敵である会津藩を討伐しなければならなくなる。信頼する弾右衛門だけに、増裕はこんな思いを明かした。
「会津とは兄弟にも等しい交誼があり、鉾を向けるに忍びない。そも余は幕府の参政である。藩としては朝廷に誠を尽くすが、余はこの身を供して臣節を全うしようと思う」
そんな増裕の決意を聞き、弾右衛門が後を追おうとして止められたのは、前述したとおりである。この翌日に増裕は自害。側近たちに累(るい)が及ぶことのないように、わざわざ城外の森で自死したことも、弾右衛門の心を震わせることとなった。
ドラマとは異なり娘の縁談を必死にまとめた
そんな背景を踏まえると、弾右衛門をモデルとしている「風、薫る」の信右衛門が、どれだけ声をかけられても、二度と役人に戻らなかった気持ちもよく理解できる。信右衛門はコレラに罹患し、4月2日放送の第4回で息を引き取ることに。SNSでは早すぎる退場を嘆く視聴者の声が相次いだ。
実際の弾右衛門は明治9年に、享年50で流行り病によって没している。ドラマで信右衛門が亡くなった時期と大きな食い違いはないが、決定的に異なることがある。
ドラマでは父の死後にりん自身が他家に嫁ぐことを決意することになるが、実際の弾右衛門は娘の縁談をまとめたあとに病死している。弾右衛門は体調が優れない中でも「なんとか娘によい縁談を」と奔走したようだ。
そんな父の遺志に従い、大関和は19歳で、黒羽藩次席家老の家の渡辺福之進豊綱と結婚した。だが、この結婚生活は和にとって過酷なもので、幸せとは程遠いものとなる。
【参考文献】
田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)
田中ひかる監修『大関和 明治のナイチンゲールたち』(平凡社)
青山誠著『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)
メディアソフト編『大関和と鈴木雅の人生』(メディアソフト)
櫻庭由紀子著『戦う白衣の天使 大関和・鈴木雅ものがたり』(内外出版社)
