「ダイエー撤退で売上が激減」「家電量販店も耐え切れずに去る」 ダイエー閉店で廃墟化「兵庫のバブルモール」苦戦の背景

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「あべのベルタ」の外周
「あべのベルタ」の外周には自転車がズラリと並び、施設内の地下1階と地上1階は人通りがある(筆者撮影)

しかし地上2階には大きな空き区画があり、シャッターが多く、人の姿が一気に減る。地下2階にもシャッターが目立つ。

「出屋敷リベル」に比べると活気はあるものの、関西スーパーやパチンコが出店しており、それ以外のフロアは苦戦している様子が「出屋敷リベル」と重なる。

また、両施設は「核テナント」に翻弄された歴史も共通している。

開業当初から怪しかった雲行き

「あべのベルタ」は阿倍野地区第二種市街地再開発事業の一角で、1986年1月に完成した。ところが核テナントが決まらないため放置され、開業が延期となり、オープンできたのは87年9月であった。

地下2階〜地上2階が商業施設で、核テナントのそごうホップが地上1、2階、関西スーパーが地下1階に出店。店舗区画が分譲され、ほかに約130の専門店も出店したが、オープンしたときすでに空き区画が存在していた。

オープン翌年には早くも苦戦ぶりが伝えられた。日本ショッピングセンター協会は、「問題は専門店で、物販・飲食はともかく、食料品は完全に関西スーパーにとられており、いつも閑散としたフロアになっている。今後専門店をどうするかが大きな課題ではないかと思われる」と指摘している(日本ショッピングセンター協会『ショッピングセンター』1988年2月)。

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