"人口8000人の過疎の町"を全国区にした「スーパー公務員」が51歳で退職…新名刺に「フリーアルバイター」と記載したワケ

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町の「有名人」だけに、ほとんどの人が田端さんのことを知っている。田端さんと一緒にいるだけで、老若男女さまざまな人がひっきりなしに声をかけてくる。そこから田端さんを介して新たな出会いが生まれることもしばしばある。

そうした田端さんの存在があってか、施設を利用する地元の子どもたちは、大人たちに混じる中でもリラックスした表情だ。

スーパー公務員 横瀬町
コミュニティ・イベントスペース「Area898」で行われたイベントで講演する田端さん(写真:田端さん提供)

「横瀬には高校がないので、地元の子どもたちは高校からは基本的に外に出ることになります。中学校までの間に898で大人との接点、交流の場を作ることができたら。いずれ横瀬にも戻ってきたときにつながりが持てるような場でありたいと思っています」と田端さんは話す。

昨年12月、SNSで「2026年3月末に退職します」と初めて報告したところ、100件を遙かに超えるコメントが寄せられた。

「町民の皆さんに限らず、関わったことがある全国の人々からお声をかけていただき、その反響に驚きました」

高校生のときから「50歳で辞める」つもりだった

退職を意識したのは、高校生の修学旅行のときに書いた「人生設計」の存在があったからだという。

そこに田端さんは「50歳で仕事を辞める」と書いた。まるでドジャースの大谷翔平選手が高校時代に活用していたという目標達成シートのようだ。

「18歳で仕事を始め、23歳で結婚などとかなり細かく書いていました。なので、ずっと『50歳で退職』が頭にありました。ただ、就いた仕事については、京都・龍安寺の石庭を見て庭師になりたいなどと言っていたのでまったく違いますが」

具体的に退職を決めたのは45歳で、このときに「あと5年で退職だ」と考え、役人人生の「ラストスパート」に入った。この間、横瀬町における事業の中核となる地域商社の「ENgaWA(えんがわ)」を立ち上げ、自身に代わる後輩の育成に取り組んだ。

田端さんを高く評価し重用してきたのは、横瀬町の富田能成町長である。富田町長には50歳になった24年、「年度末で辞職したいです」と伝えたが、最初は「今辞めるのはダメだ」と言われたという。それでも田端さんは引き下がることなく、25年1月に再び町長に辞意を表明した。

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