国鉄の「急行型電車」、全国を駆けた黄金期の記憶 特急・新幹線網が広がる前の「長距離移動の定番」

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交流電化の九州でも交直流急行型電車が活躍した。岡山―熊本間の急行「有明」をはじめ「つくし」、「山陽」「はやとも」などが運転され、後年には九州内では「ぎんなん」「日南」「かいもん」などのローカル急行も登場した。

急行ぎんなん 特急有明 すれ違い
583系の特急「有明」(右)とすれ違う急行「ぎんなん」(撮影:南正時)
【写真】鹿児島本線の串木野付近、重厚な瓦屋根の家並みを横目に走る急行「かいもん」。グリーン車とビュフェを連結した編成だ

北海道にも電化が広がると、電車急行が登場した。68年8月に小樽―滝川間の交流電化が完成すると、同年10月のダイヤ改正で電車急行「かむい」が登場した。

この列車に使われた711系は国鉄初の交流専用電車で、北海道向けとして徹底した耐寒耐雪装備を備えた。分類としては急行用ではなく近郊型にあたる電車だが、デッキ付きでボックスシートの並ぶ車内は急行用としても遜色なかった。

急行かむい C55  宗谷本線 旭川
711系の急行「かむい」(右)と接続して旭川駅を出発するC55形牽引の宗谷本線の列車(撮影:南正時)

こうして全国の主要な電化区間で電車急行が活躍するようになったが、急行の黄金期は決して長くはなかった。生活水準の急速な向上や自動車の普及が進む中、急行型のボックスシートは優等列車としては時代遅れの設備になっていった。

「急行」の衰退

70年代以降は特急への「格上げ」が進み、急行はビュフェの連結も次第に消えていった。国鉄末期にはダイヤ改正のたびに急行列車が次々と姿を消した。本来の用途を失った急行型電車は、普通列車などローカル運用で余生を送ることとなった。

電車急行の多くは国鉄時代の末期に廃止や特急格上げによって消え、急行型電車の急行運用として最後まで残った「赤倉」も97年に廃止された。急行型以外の車両による電車急行としては、新潟―大阪間を結んだ夜行急行「きたぐに」が、特急型寝台電車の583系を使用して運行されていたが、これも2012年に姿を消した。

急行赤倉 165系
JR化後も数は少ないながら電車急行の運用は残った。信越本線の青海川付近を走る165系の急行「赤倉」(撮影:南正時)
【写真をもっと見る】国鉄時代の「急行型電車」全盛期の華々しい姿。153系や165系、北陸や東北、九州で活躍した交直流急行型など、北海道から九州まで全国を走った電車急行の貴重な記録

ローカル運用で各地に残った急行型電車も消えて久しく、残るは新潟県の第三セクター、えちごトキめき鉄道のクハ455-701のみである。だが、国鉄時代に全国を結んで走った急行型電車の功績は、今後も語り継がれていくであろう。

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南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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