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国鉄の「急行型電車」、全国を駆けた黄金期の記憶 特急・新幹線網が広がる前の「長距離移動の定番」

153系の急行「比叡」(撮影:南正時)
田町付近を走る153系の急行「東海」(撮影:南正時)
関ケ原付近を走る153系の臨時急行「比叡」(撮影:南正時)
153系の急行「東海」(撮影:南正時)
東海道本線の根府川橋梁を渡る153系の急行「東海」=1979年12月(撮影:南正時)
関ケ原付近の築堤を行く153系の急行「比叡」=1975年5月(撮影:南正時)
大垣付近を行く153系の急行「比叡」(撮影:南正時)
準急時代の153系「比叡」。急行格上げは1966年だった(写真:大塚康生)
東京―大阪間を結んだ急行「よど」の153系=1964年(撮影:南正時)
153系車内のビュフェですしを提供していた「すし電車」。中央が岸山さん(写真提供:岸山仁さん)
「すし電車」で提供されていた「おこのみ寿司(上にぎり)」を再現。これが急行電車内で食べられた(撮影:南正時)
関西の「新快速」は1972年に153系で運転を開始した。山崎付近を走る153系新快速(撮影:南正時)
153系の「新快速」。専用車両の117系登場まで活躍した(撮影:南正時)
153系をベースに開発された修学旅行専用電車155系・159系。臨時で急行に使用されることもあった(撮影:南正時)
153系をベースに開発された修学旅行専用電車155系・159系(撮影:南正時)
富士山をバックに走る急行「東海」。湘南色の155系(撮影:南正時)
中央東線の小淵沢付近を走る165系の急行「アルプス」。グリーン車2両にビュフェを連結した全盛期の編成(撮影:南正時)
中央東線を走る165系の急行「アルプス」(撮影:南正時)
165系の急行「アルプス」は中央東線の看板列車の1つだった(撮影:南正時)
飯田線に乗り入れる急行「こまがね」を併結した急行「アルプス」(撮影:南正時)
上越線の岩原スキー場前付近を走る165系の急行「佐渡」。グリーン車2両にビュフェも連結した全盛期の編成(撮影:南正時)
165系の急行「佐渡」(撮影:南正時)
雪景色の中を走る165系の急行「佐渡」(撮影:南正時)
雪景色の中を走る165系の急行「佐渡」(撮影:南正時)
上野に到着する165系の急行「佐渡」(撮影:南正時)
上野―水上間を結んだ165系の急行「ゆけむり」(撮影:南正時)
グリーン車2両を連結した165系の急行「ゆけむり」(撮影:南正時)
上野駅に停車する急行「ゆけむり」(撮影:南正時)
165系の急行「草津」。現在の特急「草津・四万」の前身にあたる列車だ(撮影:南正時)
碓氷峠通過に対応した169系で運転された急行「妙高」(撮影:南正時)
長野電鉄の湯田中まで乗り入れていた169系の急行「志賀」。上野―屋代間は急行「信州」や「妙高」と併結運転した(撮影:南正時)
長野電鉄線内を走る169系の急行「志賀」。屋代から長野電鉄に乗り入れ湯田中まで走った(撮影:南正時)
飯田線を走った165系の急行「伊那」(撮影:南正時)
大海駅で飯田線の名物だった旧型国電とすれ違う165系急行「伊那」(撮影:南正時)
JR化後も数は少ないながら電車急行の運用は残った。信越本線の青海川付近を走る165系の急行「赤倉」(撮影:南正時)
柏原付近を行く165系の急行「比叡」(撮影:南正時)
伊吹山をバックに大垣付近を走る165系の急行「比叡」(撮影:南正時)
関ケ原付近を走る165系の急行「比叡」(撮影:南正時)
新垂井付近を走る急行「比叡」(撮影:南正時)
菊川付近を行く165系の急行「東海」(撮影:南正時)
湯河原付近を走る165系の急行「東海」(撮影:南正時)
房総半島にも165系の急行が走っていた。銚子駅に停車する、ヘッドマークを付けた長編成の急行「犬吠」(撮影:南正時)
ヘッドマークを付けた165系の急行「犬吠」(撮影:南正時)
国鉄末期の1986年に165系を改造して誕生した展望電車「パノラマエクスプレスアルプス」(撮影:南正時)
国鉄末期の1986年に165系を改造して誕生した展望電車「パノラマエクスプレスアルプス」(撮影:南正時)
グリーン車2両とビュフェを連結した堂々の12両編成で走る急行「兼六」=1974年12月(撮影:南正時)
北陸本線の武生でD51形が牽引する貨物列車とすれ違う急行「兼六」=1975年(撮影:南正時)
グリーン車2両にビュフェを連結した全盛期の急行「ゆのくに」。北陸本線の急行は大型のヘッドマークがシンボルだった(撮影:南正時)
鳩原のループを行く急行「ゆのくに」堂々の12両編成(撮影:南正時)
グリーン車2両とビュフェを連結した急行「立山」(撮影:南正時)
米原—金沢間を結んだ急行「くずりゅう」。車体の下部にクリーム色の細い線が入っているのは60Hz電源用車両の印だったが、のちに省略されるようになった(撮影:南正時)
武生付近を走る急行「くずりゅう」=1975年(撮影:南正時)
新疋田付近を走る急行「くずりゅう」(撮影:南正時)
急行「くずりゅう」は北陸方面から東海道新幹線連絡列車としての役割を担っていた(撮影:南正時)
田植えの時期、北陸本線湯尾付近を走る急行「くずりゅう」=1976年5月(撮影:南正時)
急行「くずりゅう」の運転台(撮影:南正時)
急行「くずりゅう」の車内(撮影:南正時)
新疋田でEF81形牽引の貨物列車を追い抜く急行「くずりゅう」(撮影:南正時)
ヘッドマークが小型化された後の急行「立山」(撮影:南正時)
東海道本線山崎付近の大カーブを行く急行「立山」(撮影:南正時)
新緑のループ線を行く急行「立山」。グリーン車は1両に減車されている(撮影:南正時)
グリーン車1両、ビュフェの連結なしになった後年の急行「ゆのくに」(撮影:南正時)
快速「こしじ」は急行「くずりゅう」の間合いで運転された列車。快速ながらヘッドマークを付けていた=1976年・小松駅(撮影:南正時)
武生付近を「快速」のヘッドマークを付けて快走(撮影:南正時)
東北本線の急行「まつしま」(撮影:南正時)
東北本線の桜の名所として知られる大河原付近を走る急行「まつしま」と「ばんだい」の多層建て列車(撮影:南正時)
上野―会津若松間を結んだ急行「ばんだい」は東北本線内で「まつしま」や「あづま」「いわて」「ざおう」と併結運転していた(撮影:南正時)
仙台―青森間を結んだ急行「くりこま」。特急並みの表定速度を誇る俊足の電車急行として知られた(撮影:南正時)
上野―盛岡間を結んだ急行「もりおか」(撮影:南正時)
583系の特急「有明」(右)とすれ違う急行「ぎんなん」(撮影:南正時)
博多―熊本間を結んだ急行「ぎんなん」(撮影:南正時)
串木野付近を走る急行「かいもん」。グリーン車とビュフェを連結した編成だ=1976年(撮影:南正時)
西鹿児島(現・鹿児島中央)に停車する夜行の急行「かいもん」(撮影:南正時)
JR化後、JR九州の急行型は白地に青帯のJR九州カラーとなって普通列車で活躍した(撮影:南正時)
711系の急行「かむい」(右)と接続して旭川駅を出発するC55形牽引の宗谷本線の列車(撮影:南正時)
張碓海岸付近を行く711系。撮影当時、急行「かむい」の小樽―札幌間は普通列車扱いで運行していた(撮影:南正時)
厚別付近を行く711系の普通列車。急行と共通運用だった(撮影:南正時)
夜行急行の発着でにぎわう上野駅のホーム。福井行き、青森行き、男鹿行きなどの表示が旅情を誘う(撮影:南正時)
中・長距離電車の元祖である80系電車は153系以降の急行型電車につながる道筋をつくった車両。大井町付近を走る(撮影:南正時)
大井町付近を走る80系(撮影:南正時)
関ケ原付近を走る80系。かつて準急「比叡」として走っていた時代を思い起こさせる姿だ(撮影:南正時)
東海道本線の根府川橋梁を渡る80系。153系に置き換えられる前は準急「東海」として活躍していた(撮影:南正時)
東海道新幹線300系「のぞみ」の試乗会車内にて、80系の設計を担った島秀雄氏(左)とJR東海の須田寛社長(当時)=1992年(撮影:南正時)
153系の設計を担った星晃氏(撮影:南正時)
今では全国のJR線上から有料の「急行列車」は姿を消してしまった。だが、戦後の国鉄全盛期、全国各地を結…