《英国イケメンと駆け落ち》後に…73歳女性が経験した"壮絶な50年" 何度も離婚を考えた彼女が"それでも連れ添った"訳

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

イギリスでの新婚生活は、順風満帆ではなかった。それでも、けんかが大げんかに発展することはなかったという。

「最初の頃は、英語が完璧じゃないから、何を言われても深く頭に入ってこなくて。自然と受け流せていました」

義父は温かく迎えてくれたが、義母との関係は常に微妙だった。夫は一人息子。母親からすれば、大事な息子を突然やってきた日本人妻に取られたような気分になったのかもしれない。それでも広子さんは、なんとかイギリスの文化になじもうと必死だった。

広子さん
イギリス・マンチェスター時代。渡英して2年目、広子さんは美容師のアシスタントとして働いていた(写真:ハートレー広子さん提供)

その後、イギリスで約6年間生活をし、夫が仕事を見つけたことがきっかけでマレーシアへ渡る。そこで3年間を過ごした。

当時のマレーシアは、西欧に代わって日本や韓国の発展を手本にしようと提唱した「ルックイースト政策」の最中。日本人である広子さんは好意的に受け入れられたが、西欧出身の夫には差別的な視線が向けられた。

この頃、夫婦はまだ「チーム」だった。外に敵がいるとき、内側はまとまる。困難の中で、互いに支え合っていた。

日本で爆モテする夫…崩れ始めた関係

転機は日本に移り住んでからだった。

マレーシアでは「イギリス人」というだけで厳しい目を向けられた夫が、日本では一転してもてはやされた。大学教授の職を得て、常にブリティッシュスーツを着こなしていた。

街を歩けば女性が振り返り、大学では試験の答案にラブレターが紛れ込んだ。80年代後半の日本で、ブリティッシュスーツのイギリス人は珍しかったのだ。

広子さん
たびたび空を見上げ、過去を思い出しながら語ってくれた(写真:筆者撮影)
次ページ義母との関係が超絶悪化
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事