超音速ミサイルが暴いた「絶対防衛」の虚構 矛も盾も弱体化しつつあるアメリカ軍事力の行方

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アメリカの空母がホルムズ海峡から1000キロメートルも離れていたのは、2分以内にミサイルを探知しなければ撃沈されるからである。100億ドルを超える空母も、形無しなのだ。

アメリカの政治経済学者であるフランシス・フクヤマ(1952年~)が、イラク戦争でまごついているアメリカを称して「ゲリラ戦に適さないアメリカ軍」とかつて述べたことがある(『アメリカの終わり』講談社、2006年)が、今ではミサイル戦に不慣れなアメリカ軍という表現が適当かもしれない。

「ミサイル戦」に不慣れなアメリカ軍?

戦後長い間弱い相手とだけ戦ってきたアメリカが、はじめて本格的な相手と戦っているのが今回のイラン戦争だが、陸上に敷設されているアメリカ軍のレーダー装置を破壊されれば、攻撃も簡単ではないということを思い知ったはずである。これはウクライナ戦争の教訓でもある。

その意味でアメリカは、ゲリラ戦への適応能力で敗れたベトナム戦争に継ぎ、今度はミサイル戦の時代に後れをとってしまったのかもしれない。

すでにアメリカ軍の将校は、このことを政府に訴えていた。軍事予算は多いが武器の開発には注がれていないと。予算規模と一見華やかに見える10隻を超える空母は、張り子の虎だということかもしれない。

要するに絶対的攻撃能力という自信の上であぐらをかいていたということになる。戦争には用意周到な準備と時が必要である。戯れに希望的観測だけで戦争してはならないのだ。

戦争がもし大統領の個人的な恨みから起こったらどうなるか。アメリカ憲法の創案者の1人であるアレキサンダー・ハミルトン(1755~1804年)は、そのことを懸念して著書『ザ・フェデラリスト』のなかでこう述べている。

「諸国民の間の敵対の原因は限りがない。集団的社会には、全体的かつほとんど絶えず謀略を行う者がいる。この中に、権力への愛、あるいは支配と優越への欲望、権力への嫉妬、あるいは平等や安全への欲望をもつ者がいる。一方でそうした人たちの中で等しく影響力をもつのだが、それらを制御する者もいる。これが、商業国家相互の競争と対抗心である。そして両者以上に、少なからずいるのが、自らが成員であるコミュニティーにおいて、私的情念、指導者への献身、敵意、利益、恐怖にその本性をもつ者である。こうした種類の人間は、王様であろうが庶民であろうが、多くの場合、自らへの信頼を乱用してきた。そして公的目的という口実のもと、個人的利益と個人的名誉のために国民の安寧を犠牲にすることに恥じらいを持つことなどないのである。有名なペリクレスは、一人の売春婦の不満によって、彼の国民の血と財産の多くを犠牲にして、サムニウム人を征服し、破壊したのである」『ザ・フェデラリスト』第6章、拙訳)
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