朝ドラ「風、薫る」のモチーフは看護師の先駆者「大関和」胸に残る父の言葉
この言葉は、息子への苦言でありながら、最大の賛辞にもなっているところが、秀逸である。そんな父の言葉を受けて、ゲーテは自身の才能を多方面で発揮する。フランスの詩人、ポール・ヴァレリーがゲーテの特徴について、こんなふうに表現をしている。
「ゲーテは自分の明日を貪欲なまでに大切にします」
学び続けた大関和が突き進んだ「看護」の道
新たに始まった朝ドラ「風、薫る」では、日本の看護師の草分け的存在となっている大関和(おおぜき ちか)と鈴木雅(すずき まさ)が主人公のモチーフとなっている。
大関和もまた、親の言葉が自身の進むべき道を方向づけた。
大関和は安政5(1858)年、下野国の黒羽藩(現栃木県大田原市)の国家老(くにがろう)、大関弾右衛門(おおぜき だんえもん)とその妻・哲の間に、二男三女の次女として生まれた。
明治維新後、父の弾右衛門は家老を辞職する。武士を辞めて帰農することも考えたが、結局は縁戚を頼って上京することになった。
弾右衛門は商売に手を出すものの、所詮は付け焼刃の「士族の商い」で、うまくいかなかったようだ。やがて病に苦しめられるようになる。
だが、それでも弾右衛門は家で子ども達に四書を講義することをやめなかった。講義のなかで、娘たちにたびたび伝えたのが、こんな言葉である。
「いかなるときも学問を怠るな」
一番下の弟は、東京での生活に嫌気がさして出奔してしまうが、和はもう一人の弟と、妹とともに、書道と算術の塾に通い続けたという。
母の哲が「算術は下級武士が身につける卑しいものです」と嫌な顔をしても、父の弾右衛門は娘たちに学問を奨励し続けた。
「これからの時代は女にも算術が必要だ」
どんなときにも学びを止めないこと――。幼少期に培われたそんな勉学への姿勢は、大関和の人生を突き動かすことになる。
その後、和は英語習得のために正美英学塾に通うようになると、キリスト教の教義に感銘を受ける。そして自分の進むべき道を「看護」の世界で見出すことになるのだった。
【参考文献】
中山茂著『野口英世』(岩波書店)
小栗浩著『人間ゲーテ』(岩波新書評伝選)
真山知幸著『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)
青山誠著『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)
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