『暮らしのおへそ』編集ディレクターが60歳を過ぎて手放した「褒められたい」の呪縛、「気にしい」が変わったきっかけ
かつては、原稿の締め切りがある1週間ぐらい前から外出を控え、仕事の打ち合わせが入ったら、友達とのお茶の約束を断り、夫と旅行の予定を立てても、取材スケジュールを優先させていたのに、最近ではテニスのレッスンがある日には、仕事を入れないように調整しています。原稿の締め切り前日であっても、いそいそとレッスンに出かけます。
そしてふと気づくと、もし、仕事がなくなったとしても、私はアルバイトをしながら、ときどきテニスに出かけ、帰ってきたらおいしいものでも食べて……。そんな毎日でも意外と愉快に暮らしていけるんじゃないかなどと考え始めました。
大事なものがひとつしかないと、どうしてもその「ひとつ」にしがみつき、「もし、これがなくなったら……」と不安になったり、「これ」の存在価値について誰かに否定的な言葉を投げかけられただけで、どよ〜んと落ちこんだりしてしまいます。
でも「これ」がなくなったら「あれ」がある。と思うことができたなら、「固執する」という癖から解放されるんじゃないかなあと思うのです。
「この仕事」じゃなくても「あの仕事」でもいい。あるいは、仕事をしない人生もあり、という思考の幅を持つことができたとき、人はもっと自由にのびのびと生きられるんじゃないかなあ。
穴に落ちてみないとわからない
難しいのは、2本目、3本目の軸をどうやって探すのか、ということです。それはきっと「やってみる」しかない……。私はテニスを始めるまで、テニスに夢中になる自分なんて、想像もしていませんでした。
同時期に習い始めたジャズピアノは3カ月ほどでやめてしまったというのに、いったい何が違ったのでしょう?
何かに夢中になる、ということは落とし穴に落ちるようなもの。自分の意識とは別のところで、ストンと落っこちるように夢中になる……。だからこそ、穴に落ちてみないとわからないのです。
2本目の軸を見つけたら、1本目の軸を褒められなくても、きっとへっちゃらになれる。ひとつの道を極めることも大切だけれど、あたりをキョロキョロと見渡して、おもしろそうなものを探すことも、人生を分厚く楽しむコツのような気がします。
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