「上京したい、でも東京怖い…」で狛江に住むことにした19歳少年。40年経った今も「小田急線沿い」に住む"深い理由"

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銭湯「お湯どころ野川」
狛江の風呂なしアパートに住んでいたときによく通った銭湯「お湯どころ野川」。今も健在で営業中だ(提供:コマツさん)

専門学校を卒業後、新宿御苑前駅にあるデザイン会社に就職。小田急線で新宿駅に出て丸ノ内線でふた駅。引っ越す理由はなく、そのまま狛江での暮らしを続けた。ところが数年後、アパートの大家から突然「建物を取り壊すことになった」と告げられる。通勤環境をあまり変えたくなかったコマツさんは、近場で風呂付きの物件を探し、都内の喜多見駅から3駅離れた神奈川県の登戸駅周辺に転居した。

「敷金・礼金を出す」の言葉に惹かれ、都営新宿線の曙橋駅周辺へ

その4年後、再び転機が訪れる。登戸でもまた、大家から「建物を取り壊すから出て行ってくれ」と言われてしまったのだ。

今度は、次に住む先の敷金・礼金を出してもらえるという。それならばと、コマツさんは都営新宿線の曙橋駅近辺に引っ越すことにした。理由は「職場まで歩いて行ける場所だったから」と、いたってシンプルだ。

加えて、当時の雑誌制作ではラフや写真のフィルムの受け取り、仕上げたレイアウト用紙の引き上げは編集部と手渡しでやり取りするのが通例。いずれフリーランスになることを考えると、都心に拠点を構えておきたいという思いもあった。

30歳の頃、フリーランスに転身。曙橋には14年ほど住み続けたが、結婚を機に2人で暮らせる物件を探すことになる。曙橋で暮らすうちにインターネットが普及し、仕事のやり取りはデータ入稿が当たり前に。都心に住み続ける必要がなくなり、街選びの選択肢は大きく広がった。

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